ヨーロッパの巨石文化

.01 2013 フランスの自然 comment(2) trackback(0)
自治会のラウンジ懇話会で
「ヨーロッパの巨石文化」というタイトルで発表をしました。
パワーポイントで66枚、一時間ちょっとの話になりました。

私が、初めて巨石文化に出会ったのは89年の8月。
ブルターニュ半島の南側のカルナックで、
この写真のような、巨大な石の列に出会ったのです。
1989081306.jpg

これが延々と1km以上にわたって続くのですから、
今流行の言葉で言えば驚きの「じぇ、じぇ、じぇ」以外の何物でもありません。
というような私の体験談から始めました。
IMG_4452 (480x270)


話を要約抜粋すると以下のとおりです。

思い返してみれば、高校の世界史では、ヨーロッパについては、
アルタミラやラスコーの洞窟壁画(1万5千年前)のあとは、
一挙にギリシャ・ローマの世界に飛び、間が抜けていました
まして、アルプス以北のヨーロッパについては、
カエサルのガリア征服(BC51)に触れるだけで、その次は一挙に
「ゲルマン民族ミナゴロシ(AD375年)まで飛びます。

洞窟壁画のあと、氷河期が終わり、アルプス以北のヨーロッパでは
BC9000年頃から温暖化とともに、森林化が始まり、
BC6000年頃から新石器時代(磨製石器)に入り、
定住農業(焼き畑、土器、織物)が始まります。

そうこうするうち、
BC4600頃から、巨石文化がブルターニュ地方から起こりました。
これは Megalithic Culture(巨石文化)の頃の文化地図です。
02印欧拡大6000~5500

巨石文化はBC4600~BC1500と約3千年続き、
この文化の担い手は、印欧語を話さない先住民
彼らがどこに消えたかはいまだに謎です。
この図では、印欧語族(黄色)はまだ西ヨーロッパには来ていません。
ですから巨石文化の担い手はケルト人(印欧語族)ではないのです。
03印欧拡大4800~4500
参考のため、他の地域では、
BC3000頃エジプトでピラミッドの建設開始、エーゲ文明。
BC2000インダス文明、BC1600殷王朝(中国)、
BC1200ヒッタイト滅亡したあと鉄器文化が広がります。


フランスのブルターニュ地方から起こった巨石文化は、
その後、海づたいにブリテン、アイルランド、ポルトガル、デンマークへと
広がって行きます。
フランス内陸部に伝播したのはその後のようです。

メンヒル Menhir(単独立石)、ドルメン Dolmen(石のテーブル)の
フランスでの分布は、ブルターニュに異常に密集していることがわかります。
cartes_megalithes01.jpg

ヨーロッパの巨石遺跡の分布図です。
tumblr_mllhqoOUN31s6c1p2o1_1280.jpg

巨石遺跡は複合形もありますがほぼ5種類です。
①ケルン Cairn = 石積塚(墳墓)
②ドルメン Dolmen = 石のテーブル
③クロムレック Cromlech = 環状列石(ブリテンではストンサークル)
④メンヒル Menhir = 単独立石
⑤アリニュマン Alignement = 列柱

まずはケルン(石積塚)。
これは巨石文化最古の遺跡といわれる、バルネネスのケルン(BC4600)です。
ブルターニュ北岸のモルレーという鉄道陸橋で有名な町の海岸寄りにあります。
L35m xW20m xH8m で、5個の玄室と羨道をもつ共同墓地です。
11IMG_3935 (480x270)
Grand Cairn de Barnenez (Morlaix)

次は、ドルメン(石のテーブル)で、
大きな岩で蓋をした石室構造の墓の跡です。
ラ・ロッシュ・オ・フェ(妖精の岩)とよばれる、ドルメンの代表選手です。
レンヌの南東のエッセという村の野原の中にあります。
日本では明日香の石舞台(AD7世紀)とよく似ていますね。
199005 La Roche-aux-Fees01
La Roche aux Fees (Esse)

そして、クロムレック(環状列石)。
ブルターニュには四角く囲ったものしかないのに対し、
アイルランド、ブリテンでは全て丸いストンサークルだそうです。
これはあまりにも有名なストンヘンジ(イングランド)です。
今ではほぼ天文台だということになっているそうですが、
要はパワースポットなのだと私は愚考します。
95ストーンヘンジ000102_c
Stonehenge (England)

メンヒル(単独立石)は何のための印かいまだにわかっていないようです。
ぽつんと草原や森の中に立っています。
高いものでは9.5mのものもあり、ブルターニュでは1200箇所もあります。
左は、マニオのメンヒルでカルナックの近くにあります。
右はサンチュゼックにあるもので、元はメンヒルだったのですが、
キリスト教が入ってきたあと、こういうふうに加工されてしまいました。
ブルターニュ北岸のラニオンの街の海岸寄りにあります。
08IMG_4476 (480x480) 04IMG_3841 (480x480)
Menhir du Manio(Carnac)----------Menhir?de St.Uzec(Lannion)

Bretagne.jpg

最後に、一番最初の写真のアリニュマン(列柱)ですが、
ブリテンにはこうしたものは殆どないのに対し、
ブルターニュには100箇所もあります。
いまだになんのために作られたのか結論は出ていないのですが、
神聖な場所(クロムレック)へ導くための回廊ではないか
と推測されているようです。

それにしても、まだ石器か青銅器しかないころ、
これだけの土木工事をしたということが不思議でなりません。
またそれが、舟もあったかどうかわからない時代に、
ヨーロッパ中に広まったことが更に不思議です。
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宿木2 le Gui 2

.20 2012 フランスの自然 comment(0) trackback(0)
ついに発見しました。
日本に帰ってきて、とうとう出会いました。
宿木です。

「あったね」

「あったわね」

宿木01

先日、曽我梅林を見に行った時、偶然発見したのです。

梅の向こうの梢の上に見えました。
宿木02 宿木03
曽我氏ゆかりの寺「城前寺」の幼稚園の庭の木の梢にありました。


フランスでは、冬から春にかけて、
木々の葉が落ちているときは、嫌というほど目に入り、
こういう風景はいくらでもあったのです。(以前の記事参照
Golf+ヤドリギ03

これは、私が会員になっていた、ゴルフクラブ
Golf de la Freslonniere のそばのポプラ並木です。
Golf+ヤドリギ04


失くしたことさえ忘れていたものを見つけた気分です。

ブルターニュのチューリップ

.17 2011 フランスの自然 comment(2) trackback(0)
我が家のヴェランダのチューリップがようやく花を咲かせた。
veranda 001 veranda 002

マダム・クーニーに「花の散りぎわ」の写真をメールで送ったら、
ブルターニュのフィニステール県(県No 29)でも
素晴らしいチューリップが見られるよ、とアドレスを教えてくれた。

http://www.bretagnelocations.com/latorche.htm

Tulip de la Torche les planches a voile et le surf

地図で探すと、カンペールの近くの海岸にあった。
La Torche という町で、サーファーたちが集まる海岸で有名なところらしい。
私たちがいた20年前には、その噂を聞いたことがなかったので、その後できたのだろう。
オランダと同じく、球根栽培のためらしいので、花はすぐ刈り取ってしまうらしい。
でも、昔ここがあれば、オランダのキューケンホフ公園まで行かなくても済んだのに。

でもこれで将来ブルターニュに旅行する時の楽しみが増えた。
プルガステルのマダム・クーニーのお宅にお邪魔して、カンペールに行って、
そしてついでにここのチューリップを見る。
ということは4月の中旬に行かなければいけないということか。
Tulip de la Torche 29 Map

宿り木(2010-05-25再掲)

.25 2010 フランスの自然 comment(2) trackback(0)
この記事は2010-05-25の記事を再掲したものです。

昔の家庭教師のマダムクーニーが、冬至の記事を見て
「シトロンの写真のようだが何だ」と聞いてきたので
(彼女は日本語は分からず写真しか分からないので)、
「風邪をひかないためのおまじないです、
フランス人だってノエルから年末にかけてにヤドリギを飾るでしょ」
というようなメールのやり取りをしたので、
ちょうどノエルの季節になったこともあり、
タイミング的にこの時期にもう一回掲載しておいたほうがよいかなと考えました。



フランスでは、
冬になって木々の葉が落ちると目立つものがある。
20091215やどりぎ2
ヤドリギ (le Gui) である。

近寄って見る。
20091215ヤドリギ4

子供たち用に買った le Petit Larousse illustre 1992 によると、
(ラルース小百科事典絵入り1992年版)
le Petit Larousse S

「特定の木(ポプラ、リンゴの木、稀にオーク)にパラサイト(寄生)して
白い実をつける。実にはねばねばした物質を含む」
とあり、図が付いている。

寒々としたこずえの中で、緑のヤドリギだけがとりわけ目立つのだ。
日本では見られない壮観な景色である。
私が会員になっていたゴルフクラブの入り口のポプラ並木には、
全ての木にヤドリギが付いていて、それはそれは素晴らしい眺めであった。
夏よりも冬のほうが並木の存在感がある。

ノエルが近くなると、朝市でヒイラギとともにヤドリギが売られている。
20091221やどりぎマルシェ1

柊(ヒイラギ)とヤドリギ
20091221やどりぎマルシェ3

雪の中でも、青さを失うことはなく
20100114ヤドリギ01

冬を生き延び
20100324やどりぎ1

春を迎え
20100424やどりぎ1

そして、新緑とともに次の冬まで隠れてしまう。
20100504隠れヤドリギ


私だけがこの木をきにかけていたわけではなく、
古代人もこのヤドリギに不思議な力を感じていたようである。

以下は、
NHKラジオテキスト「まいにちフランス語」4・5・6月号の中で、
仏文学者奥本大三郎先生が書かれている連載エッセイ「落日のフランス文学」
の「宿り木Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」からの受け売り・抜粋である。

フランス人は新年に「オオギランヌフ」(新年おめでとう)
    と挨拶するそうである。(ただ、私はこの挨拶をされたことがない。)
    “ Au gui l’an neuf ” 直訳だと「ヤドリギの新年」???

    ラルース百科事典(上記写真の大人版)によれば、

    古代ローマのプリニウス著「博物誌」の中で、
    ガリアにおけるヤドリギの崇拝と題して次の記述がある。

    「ケルト人はヤドリギとこれが宿っているオークほど神聖なものはない
    と信じていた。陰暦の毎月六日に白い衣をまとったドルイド僧が、
   三日月形の黄金の鎌でオークのヤドリギを刈り取り、白い衣で受け止める。
   そのあとに、白い雄牛を生贄として捧げ、宴を開いた」となっている。


こうした話を奥本先
生は、なんと3ヶ月3回12ページにわたって
エッセイにまとめられている。

また、ネットで検索したところによると、
   イギリスやアメリカでは、クリスマスの季節に、
    飾りとして掛けたヤドリギの束( Kissing Ball)の下にいる若い女性は
    Kissされること拒否すると翌年は結婚のチャンスがないそうだ。
   恋人同士がMistletoe(ヤドリギ)の下でキスをすると結婚の約束を交わした
   ことになるらしい。また「幸福と長寿の予言」でもあるとのこと。

クリスマスはキリスト教の行事であるが、そこで飾るヤドリギは
実は古代の宗教が習俗として形を変えて生き残っていることの
証なのである。

(注)
ここに掲載したヤドリギの写真はすべて、現在パリに住んでいる
私の大学時代の同級生M氏が私の求めに応じて、去年から今年の半年間にわたって
撮影してくれたものです。著作権は全て彼に属し、彼の同意を得てこのブログに掲載しました。

川の国フランス

.30 2010 フランスの自然 comment(0) trackback(0)
3月27日の記事「フランスの番地表示」のなかで、
「町の名前も日本とフランスでは呼び方が違う。
日本では、相模大野、武蔵村山、石見江津などと
地方の名前を頭につけて似たような町の名前を区分しているが、
フランスでは川の名前を後ろにつけて区分している。
たとえば、Neuilly sur Seineセーヌ河のそばのヌーイとか、
Noyal sur Vilaineヴィレーヌ川のそばのノワイヤルというふうである。
イギリスでも、シェーークスピアの生まれた町は
Stratford upon-Avonアボン川のそばのストラットフォードという。」
と書いた。

同じような街の名前を河によって区分しているのだが、
県の名前は殆どが河の名前に由来している。

フランスには海外県を除くと、96の県がある。
フランスの地方行政区画」には県名の一覧表があるが、
この県名をクリックすると各県のWikipedia に飛ぶので、
県名の由来を調べると、なんと63の県が川の名前からつけられている。
63/96は66%、3分の2である。

例をあげると、
レンヌ市のあるイレヴィレーヌ県はイル川とヴィレーヌ川に由来し、
東隣のラヴァルのあるマイエンヌ県、さらにその東のルマンのあるサルト県は
それぞれ同名の川が県内を流れている。

県の名前はいつつけられたか。
1789年のフランス革命によってである。
それまでのアンシャンレジームが解体され、県が設置された。

明治4年(1871年)に廃藩置県により
日本に新しい県ができたのと同じである。
私の田舎の島根県は隠岐の国、出雲の国、石見の国の3つが一緒になった。
県庁のある松江の周りが嶋根郡だったので島根県になったらしい。
いい加減といえばいい加減な名付けである。

フランス革命の場合、昔の領主の名残を残したくないとすると、
川の名前を付けるのが一番自然だったのであろう。
フランスには東部のアルプスや南東中央部の山地くらいしか、山らしい山がない。
川の流れはゆるやかで、古くより水運が発達していた。
これはフランスの河川の地図。
france-rivers-map.jpg
出典:about-france.com

これは運河の地図である。
大西洋側のルアーブルやボルドーから、河と運河を使えば、地中海へ抜けられるのである。
fance-navigable-waterways.jpg
出典:cruise-in-france.com

この地図には載っていないが、ブルターニュ地方にも運河はある。

西端のブレストBrest からポンティヴィPontivy 、ジョスランJosselinを通り、
ルドンRedon を経由してロワール川のナントNantesまで通じる運河がある。
もう一つは北のサンマロSaint-Maloからランス川をさかのぼって
ディナンDinan、レンヌRennesを経由して
ルドンRedonでブレスト・ナント運河に合流するものである。

(参考)ブレスト・ナント運河の写真はこちらのサイトCanal+en+Bretagne-map.jpg

私たち家族のように車でバンバン飛ばすのではなく、
ヴァカンスに船でゆったりと運河めぐりをする人もいる。
またリタイアして船を買い運河旅行をする人も少なからずいるようである。
フランスの運河は、いまだに税金により公社によって維持管理されているのである。

フランスの運河ではないが、北欧を旅行した時のスウェーデンの運河の写真を
参考に載せておく。船が通る時に橋を上げ下げする珍しい運河である。
Sweden1_convert.jpg Sweden2_convert.jpg Sweden3_convert.jpg


(参考)
フランスの運河については、もっと良い記事があったので、ご参考まで
フランスの運河をめぐって
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