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直木三十五

.28 2020 読書 comment(0) trackback(0)
芥川賞なんて読みたくもない、
直木賞大好きの私であるが、
芥川龍之介の本は読んでいても、
直木賞の直木って誰?では少し恥ずかしい
ということで直木三十五(なおきさんじゅうご)の本を借りて来た。

代表作だという「南国太平記」。
薩摩のお家騒動を描いているので、
上下巻合わせると〇に十字の島津家の家紋が浮かぶデザインがいい。
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最初の書き出しはこうである。

高い、梢(こずえ)の落ち葉は、早朝の微風と、和(なご)やかな陽光とを、
健康そうに喜んでいたが、鬱々(うつうつ)とした大木、
老樹の下蔭(したかげ)は薄暗くて、密生した灌木(かんぼく)と、
雑草とが、まだ濡れていた。

一つの文章に「、」が九つもある。
ぶちぶちっと切れた文章がリズム感を以って最後まで続き、
難しい漢字には(るび)が振ってある。

昭和5年から6年にかけて新聞に連載され大人気を博した小説なのだが
はっきり言って面白くない。
人を切るシーンや切腹の描写が残酷で生々しく、
今の人には(私には)受けないだろう。
こういう描写は峰隆一郎のハードボイルド時代小説が受け継いでいる。
もう一つは女性の蔑視だ。
父親や兄はまるで自分の持物のように娘を扱うのだ。
今一番売れているのが時代小説だが、女性読者を意識してか
ここまで差別的には描いていない。

もう一つが「黄門廻國記」。
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直木三十五全集第16巻に入っている。
テレビドラマ「水戸黄門漫遊記」のもとになったものだが、
実にわかりやすくて面白い。
旅の最初に米俵に腰かけて婆に叱られる有名なシーンが出てくる。
全頁にわたってすべての漢字にるびが振ってあるのもいい。
助さんがめっぽう強い理由が分かった。
なんと佐々木助三郎(すけさぶろう)という水戸藩剣術師範だったのだ。
格さんは渥美格之進(あつみかくのしん)といい、
助さんより少し腕は落ちるが十分強い。

黄門廻國記は文庫本にすれば、今の時代でも結構売れると思う。


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デフ・ヴォイス

.09 2020 読書 comment(4) trackback(0)
「全国高校ビブリオバトル」というのがあるそうです。
https://youtu.be/KsxUUoy52LM
高校生が自分の読んだ本がいかに素晴らしいかを訴える大会だとか。
今年の順位は次の通りでした。
一位:「デフ・ヴォイス」 丸山正樹著
二位:「府中三億円事件を計画実行したのは私です」 白田著
三位:「罪の声」 武田武士著

この記事を新聞で読んで、
今どきの高校生はどんな本を読んでいるのだろうと
早速図書館に三冊の予約をかけました。
二位の三億円事件は読了しましたが、はっきり言って面白くもなんともない。
三位はグリコ・森永事件をモデルにしたミステリーですが、120頁読んだところで中断中。

お勧めは一位の「デフ・ヴォイス」。
一気に読了して、続きの「龍の耳を君に」も借りてきて、
これもあっという間に読んでしまいました。
デフ・ヴォイス 龍の耳を君に
面白い本は最初の数ページを読むだけで
ぐぐっと引き込まれてしまうのです。

本のストーリー:
コーダ(両親と兄弟が全く耳の聞こえない聾者の家族に生まれた耳の聞こえる者)
として育った主人公は、警察事務官(経理担当)として真面目に勤めていたが、
警察の裏金造りを告発したため警察を止め、手話通訳士の資格を取り
アルバイトとして聾者(ろう者)が被告の裁判の通訳を勤めることになる。
彼が関わった事件の真実は何かを解き明かしてゆくミステリーです。

最近「サーティセブンセカンズ」という映画を見て車いす生活者の世界を
垣間見たばかりですが、この本を読めば聾者の世界が少しはわかります。
私個人としての経験としては、
昔中小企業で働いていた時、障害者雇用率制度(総従業員の2.2%)
少しでもカバーしようとして聾者を2名採用したことがあります
(その後、厚労省自体はこの率を少しも守っていないことを知りましたが)。
その時の会話は筆談で、面談の時などはボランティア通訳の助けを借りた記憶があります。

ほんの少し前までは、聾学校の先生は手話が全くできなかったそうです。
むしろ手話は禁止されていて、
読唇術や発声術を学ばせることが学校の方針だったとのこと。
手話が言語として正式に認められたのはつい最近のことです。
ようやく聾学校で手話も教えるようになったらしいのですが、
「手話」にはおおむね2種類があって、
日本語文法と関係なく聾者の社会の中で自然発生的に生まれた
昔からの独立した言語としての「日本手話」
日本語と手話の語をほぼ一対一に対応させた「日本語対応手話」
どちらを学校で学ばせるかいまだに論争が続いているとのことです。

この本の中では主人公は「日本手話」のほうにシンパシーを寄せています。

Wikipedia「手話」を読むと、
アメリカの手話がイギリス式と違ってフランスの手話によく似ているのは、
アメリカ手話を広めた功労者がフランスで手話を学んだためだということ、
日本手話は植民地教育のおかげで韓国・台湾と60%くらい共通性があること
などを知ることができます。
話す言語と同じで国によって手話も違うのです。
一つの文化ですからね。

ともあれ、ミステリーとして非常に面白いので
お勧めする本です。

(参考)
手話の方式の違いの解説
https://syuwafriends.com/415.html

手話学入門
http://www.dge.toyota-ct.ac.jp/~kamiya/syuwagaku.html

もう一度 倫敦巴里

.07 2020 読書 comment(0) trackback(0)
友人がFacebookでこの本をゲットしたと自慢していたのが半年前。
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私も買おうとしてアマゾンを検索したのですが、
その当時は在庫切れでした。
図書館のサイトで予約をかけたら予約順位150番。
そのまま予約をかけっぱなしで放っておいたら、半年経って
「ご予約の本が届きました」というメールが入って来たのです。

この本の著者は和田誠。
イラストレーター、エッセイスト、映画監督と多才な人です。
料理愛好家の平野レミの夫、
私の好きな女優上野樹里の義父、
などというよりも、
1977年から40年以上も週刊文春の表紙を描き続けた人
と言えばだれでも知っているでしょう。
残念なことに昨年10月に亡くなってしまいました。享年83歳。
文春の表紙のデザイン画は今でも売っています
→ https://cover.bunshun.jp/store/top.aspx

この本は全編これ漫画、小説などのパロディの集大成。

これは藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」のパロディです。
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特に面白いのが川端康成「雪国」のパロディ。
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この出だしの部分を、いろんな作家の文体をまねして書くのです。
まねされた作家のリストはこのとおり。
庄司薫、野坂昭如、植草甚一、星新一、淀川長治、伊丹十三、
笹沢左保、永六輔、大藪春彦、五木寛之、井上ひさし、長新太、山口瞳、
北杜夫、落合恵子、池波正太郎、大江健三郎、土屋耕一、筒井康隆
川上宗薫、田辺聖子、東海林さだお、殿山泰司、大橋歩、半村良
司馬遼太郎、村上龍、つかこうへい、横溝正史、浅井慎平、宇野鴻一郎、
谷川俊太郎、ウィリアム・シェイクスピア、J・D・サリンジャー
ジャン⁼ポール・サルトル、レイモンド・チャンドラー、
村上春樹、俵万智、蓮實重彦、椎名誠、吉本ばなな、丸谷才一、井上陽水

特に面白かった二人をあげておきます。
歌人の俵万智。
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ページの下の部分を拡大すると
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次は歌手の井上陽水。
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同じく下の部分を拡大。
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和田誠の芸は凄い。
彼の手にかかれば短歌でも歌詞でもこの通りです。
もっとも本人は「パロディではなくモジリだ」とへりくだっていますが。

枕元に置いて寝る前にちょこっと読む本としてお勧めです。


「殺人犯はそこにいる」 清水潔著

.16 2020 読書 comment(4) trackback(0)
久々に一日で一気に読了した本だ。
文章はうまいし、なによりも構成がいい。
このての本は嫌がる妻も一気に読了した。
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5人の少女が姿を消した。
群馬と栃木の県境、半径10キロという狭いエリアで。
同一犯による連続事件ではないのか?
なぜ「足利事件」だけが“解決済み”なのか?
執念の取材は前代未聞の「冤罪事件」と野放しの「真犯人」、
そして司法の闇を炙り出す―。
新潮ドキュメント賞、日本推理作家協会賞受賞。
日本中に衝撃を与え、「調査報道のバイブル」と絶賛された事件ノンフィクション。
殺人犯はそこにいる
上の地図のように、5件の事件は狭いエリアにありながら、
3件が栃木県、2件が群馬県だ。
日本の縦割り行政では隣同士の県警は仲が悪いと決まっている。
その中の一つ、4番目の事件が、あの「足利事件」である。

一連の事件を同一犯による連続事件だと喝破した著者は、
「足利事件」冤罪の可能性を報じて
菅家利和さんを釈放へ導くとともに、
徹底した取材によって、ついに「真犯人」を炙り出した!
そこで分かったのは、導入されたばかりのDNA型鑑定の闇、
杜撰な捜査とそして司法による隠蔽だった。

2008年の正月から日本テレビがゴールデンタイムで
キャンペーン特番を流し続けていたらしいが
私はあまりテレビを見ないので、この事件のことは
よく知らなかった。
今頃になってようやくこの事件のことを知ったというのが恥ずかしい。

憲法第38条「不利益な供述の強要禁止、自白の証拠能力」
何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
②強制、拷問若しくは脅迫による自白
又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、
これを証拠とすることができない。
③何人も、事故に不利益な唯一の証拠が
本人の自白である場合には、
有罪とされ、又は刑罰を科せられない。


これは刑事訴訟法ではない、憲法だ。
日本で最高の法規にこう書いてあることを
警察官は本当に知っているのか、いつも疑問に思う。


そして上の本を読んで、すぐさま図書館に予約をかけたのが
著者を一躍有名にした(知らなかったのは私だけ)
桶川ストーカー殺人事件―遺言 清水潔著(新潮文庫)である。
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ひとりの週刊誌記者が、殺人犯を捜し当て、警察の腐敗を暴いた…。
埼玉県の桶川駅前で白昼起こった女子大生猪野詩織さん殺害事件。
彼女の悲痛な「遺言」は、迷宮入りが囁かれる中、
警察とマスコミにより歪められるかに見えた。
だがその遺言を信じ、執念の取材を続けた記者が辿り着いた
意外な事件の深層、警察の闇とは。
「記者の教科書」と絶賛された、事件ノンフィクションの金字塔!
日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞受賞作。

1999年10月26日白昼、
埼玉県のJR桶川駅前で21歳の女子大生猪野詩織さんが何者かに刺殺された。
執拗なストーカー行為(父親の会社などへ数百通の嫌がらせ手紙、
自宅周辺のビラ貼り・街宣車での放送・押しかけ脅迫などなど)を受け、
それを警察に訴えていたにもかかわらず起こった悲劇だった。
捜査は難航、迷宮入りかともいわれたが、
ひとりの雑誌記者が警察に先んじて犯人を特定、犯人逮捕へと導いた。
その後、この記者による記事から埼玉県警の不祥事が発覚。
全国的な警察批判が高まった。

これも一気に読了。
お勧めの2冊である。
横浜市立図書館予約順位1位で
簡単に入手できる。

(追伸)
「殺人犯はそこにいる」という本の存在を知ったのは
「Black Box」という本の中で言及があったからである。
black box
著者伊藤詩織(本の表紙の人物)が
元TBSワシントン支局長の山口敬之に
強姦されて警察に訴えたものの、
山口が安倍首相と親しいことを忖度した警察官僚が
逮捕状を取り消させ不起訴とした事件である。
結局、民事で争い賠償金を勝ち取ったというものだ。
この著者が清水潔に相談していたのである。

七は「ひち」である

.04 2020 読書 comment(0) trackback(0)
「京都ぎらい」の著者井上章一は、
この本のあとがきで次のように書いている。
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「そもそも七に「しち」という読み方がありうると、
私はながらく思ってこなかった。
ようやく四十歳代をむかえてからなのである。
現行の国語、中央政府のきめる日本語が、
七を「しち」にしていると、知ったのは。
 (中略) ああ、私の信じる「ひち」は、
国家権力の手先により弾圧されたのだ」

京都市の嵯峨野に生まれ
京都大学に学び、宇治に住んでいる著者
井上章一は京都府から出たことがなかったため、
41歳の時に本を出版するにあたって
朝日新聞出版局から初めてこのことを知らしめられて、
抵抗したものの押し切られたのである。

私、豊栄のぼるも島根県の石見地方で育ち、
18の年に東京に出るまで七は「ひち」だと信じていた。
東京で「しち」に出会い、
以後やむなく「しち」と言わねばならない場合は、
発音しにくいので「なな」ということにしている。
田舎者とさげすまされることを恐れたのだ。

今ネットで調べてみると、
静岡県から西は「ひち」と発音しているようだ。
島根の石見地方の友人にもラインで聞いてみた所、
だいたいは「ひち」と発音しているが、
子供や孫の中には「しち」と発音するものもいるようだ。
学校教育とNHKのせいだろう。
しかし小学校で九九を覚える時に
七の段の発音はどうしているのだろうか。
「しちしちしじゅうく」なんてとても発音できるものではない。
「ひちひちしじゅうく」のほうがはるかに楽だと思うのだが。

著者は京都大学建築学科の学生時代、
綾小路新町の杉本家住宅の九代目当主、
故杉本秀太郎氏にインタビューした時、
「君、どこの子や」とたずねられ、
「嵯峨からきました。釈迦堂と二尊院の、ちょうどあいだあたりです」と答えると
「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥(こえ)をくみにきてくれたんや」
と言われたという。
この時の屈辱感が著者に「京都ぎらい」というこの本を書かせたようである。
2020-01-04 (1)

京都の洛中に住む人間は洛外に住む人間を徹底的に見下しているという。
私は修学旅行で天龍寺に行き、
渡月橋から嵐山を眺めてこれが京都だと思ったものだが、
洛中の住人は、嵯峨は京都ではないというのだ。
宇治などに住んでいるとなおさら京都の人間だとは思ってもくれないらしい。
京都も中華思想の持ち主なのだ。
中国に近い韓国が遠い日本をさげすむのと同じである。

京都以外に住んでいる人にお勧めの本である。

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