片桐はいりの随筆

.01 2017 読書 comment(0) trackback(0)
ゲンちゃんの現代国語で
高橋源一郎をうならせた素晴らしい文章。
彼が朗読したのは
片桐はいり「わたしのマトカ」の一節である。

黒と白のチェッカー柄の小さな箱に入った
フィンランドの飴を食べたときの話である。

>>>
「しかし、今回のは想像を絶していた。
わたしのなかのコンピューターが一時混乱し、
これまでの全データをもとに
必死で検索をしているのが分かる。
脳が、箱の柄と同じ白黒の市松模様になる。
あまりのことに、口に入れたものを吐き出すべきか、
飲み込むべきかを判断する能力さえもなくしていた。」

また別なところでは

>>>
「ブスなくせに乱暴な女と懇ろになったら
逆に深みにはまるのかもしれない。」

>>>
「おたがい英語が不自由だったおかげで、
言葉より確かなまごころを受けとってしまった。」

>>>
ジーパンに小さな足型のスタンプをひとつ押されて、
わたしの農場への入国審査は終わった。

片桐はいりって誰だ?
さっそく調べてみる。
片桐はいり
へー、「精霊の守り人」を書いた 上橋菜穂子
と中学高校で同級生だったんだ。


すぐに図書館サイトで予約をかけた。
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「わたしのマトカ」は
彼女がフィンランドで撮影された 「かもめ食堂」 に出演した時のことを
綴った随筆であった。

猛然と映画 「かもめ食堂」 が見たくなり、
雨の中をTSUTAYAまで出かけていき
DVDを借りてきた。
かもめ食堂01
こういうほのぼのとした話もいいね。

撮影現場のこの店は、今やフィンランドを訪れる
日本人観光客のメッカになっているらしい。
かもめ食堂02 (480x319)

天気が悪いときはこういう本を読んで
チンしているほうがいい。


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茶色の朝 Matin Brun

.28 2017 読書 comment(0) trackback(0)
なぜこの本を読もうとしたのか思い出せない。
私は机の上に常にノートを置いていて
何かの時にメモを取る。
「茶色の朝 フランク・パブロフ著」
とノートにメモが残っていたので、
図書館の予約サイトで予約をかけた。
翌日すぐにご用意ができましたと
メールが届いたのだ。
今朝、この本を受け取りに行った。
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薄いわずか47ページの絵本である。
本文はわずかに12ページ。
30分もかからずに読めてしまう。
後半に高橋哲哉東大教授の解説が13ページもついている。
解説のほうが長い。
(はっきり言うが、私は高橋教授の超左翼的な考えには賛同していない)

12ページの本文のあらすじを書くのもおこがましいが、
「ある日、茶色以外の犬や猫を飼ってはいけないという法律が施行される。
黒のラプラドールや白黒の猫は殺処分にされるのだ。
そのうち何でも茶色でなくてはならないという風になってくる」
というお話である。

フランスでは les chemises brunes = 茶シャツ隊
= ナチスの別名なのだそうである。
知らず知らずのうちに世の中が茶色に染められてくるということは
ファシズムが忍び寄ってくるということだという寓話なのである。
フランスではルペン国民戦線党首が大統領選挙の
決選投票に残った2002年にこの本が爆発的に読まれ、
日本では2003年12月に翻訳が出版されている。
遅ればせながら私も今頃になって読んだわけだ。

これはどうかとも思うので紹介はしないが、
図書館で予約しなくても、
ネットで探せば全文を載せているサイトがあった。

高橋教授の解説はともかくとしても、
一度は読んでみてもいいかなという本である。

蜜蜂と遠雷

.27 2017 読書 comment(0) trackback(0)
しゃべりが上手いとか文章が上手いとかは
やはり特別な才能なのだろうか。
先日の将棋NHK杯戦決勝の解説を聞いていて
中村太地六段と山崎隆之八段のおしゃべりの
うまさに感心していたものだが、

今日、恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読んで、
文章を書くというのはやはり特殊な才能かと思った。
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物語はあるピアノコンクールに参加した
4人のピアニストを中心に進む。
コンクールの中で葛藤するそれぞれのピアニストの心の中を
そして演奏している曲をこれでもかこれでもかと解説するのだ。
音楽を言葉で解説できるというのは凄い。
クラシック音楽をろくに知らない私でも読めるのだから、
クラシック愛好家、特にピアノが弾ける人は
この本をもっと面白いと感じるに違いない。

ちょっと、気になった文章を抜き書きしてみる。
p220
音楽は、常に「現在」でなければならない。博物
館に収められているものではなく、「現在」を共に
「生きる」ものでなければ意味がないのだ。綺麗な
化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標
本だからだ。
p363
「僕、ピアノを教えてくれた先生と約束したんです。
狭いところに閉じこめられている音楽を広いところ
に連れ出すって」


物語の中で出てきた曲で私がきいてみたかった曲。
エリック・サティ「あなたがほしい」"Je te veux"

世の中にはもの好きな方がいるもので、
「蜂蜜と遠雷」 三次予選に出てくる曲を
すでにYoutube にアップしてくれている。
https://youtu.be/_JOEK-Qp9OY?list=PLFXm2CyyoSE2ehDSvFhFh_6Q81N9cruOO

恩田陸に初めて出会ったのは読売新聞の連載からである。
そして「夜のピクニック」をDVDで見て本も読んだ。
20歳の20冊リストの中にこれが入っていたからだ。
これからも面白い小説を書いてくれるに違いない。

サラセン帝国はもう存在しない

.14 2017 読書 comment(0) trackback(0)
私が課長になりたてのころ、部下の大卒新人(文系)に
「昔サラセン帝国というのがあっただろう?」
と聞いたときに、
その新人は
「いやー、聞いたことないですね。サラセンって何ですか?」
と逆に聞き返されてしまったことがあります。
その時に、私が高校で学んだ世界史と
今の若い人が習っている世界史は
どうも違うらしいということを知ったのです。

先日、新宿の紀伊国屋でたまたま、この本を見つけました。
「荒巻の新世界史の見取り図」(東進ブックス)です。
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予備校の先生?が書いた本なのですが、
ぱらぱらとめくってみると
私が勉強した高校の世界史の教科書とは全く違います。
戦争と項目の羅列を必死で暗記するのではなく、
背景や理由がわかるように書かれていて、
地図や説明図がふんだんに使われています。
しかも「ですます調」なのです。
私があまり勉強していない(受験範囲になかった)
現代史の部分(下巻)だけを買ってもよかったのですが
ついでに上巻と中巻も一緒に衝動的に買ってしまいました。

実に面白い。上中下を一気に読んでしまいましたよ。
今さらこの年になって大学受験をするわけではないので
項目を覚えようとしなくてもいいのですから
気楽に読めます。

世界史を流れで読むという観点からは
ウィリアム・H・マクニール「世界史」も面白かったのですが
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やはりこれは西洋人の観点から歴史を見ているので
納得できない部分も多々あります。

その点、荒巻先生は日本人ですし、
高校生の読む本ですからね。
分かりやすく書いてあります。


以下は、私の読書メモなので無視してください。
こうやって書いておかないとすぐ忘れてしまうので。

1.ゲルマン民族皆殺し(375年)はもうなくなっていた。
「民族」という言葉はとても難しい概念なので
昔は「ゲルマン民族」と言っていたのが
今では「ゲルマン人」と書く。

2.イスラームの章
①サラセンとはヨーロッパ人の蔑称なので今はこの言葉は使わない。
(だから、私の部下が知らなかったわけです)
「ブルターニュのそば」でサラセン粉(蕎麦粉)が20年前はあったのに。

②ローマ帝国とペルシアの係争地(シリア、イラク)
を避けて紅海ルートが栄えた→アラブ人の台頭

③イスラーム教徒とはいうが、イスラーム教とはいわない。
キリスト教、仏教、イスラーム、ヒンドゥー教

④「マホメット」も西洋人がそう呼んでいるだけで、今は「ムハンマド」
(ウィリアム・H・マクニール「世界史」ではマホメットといっている)

⑤イスラーム=アッラー(唯一神)に帰依すること

⑥ムスリム=イスラーム教徒

3.16世紀は銀で結ばれる世界。
①メキシコ銀、ペルー銀、日本銀が
絹・茶・陶磁器で銀の採れない中国に流れた。
その銀をアヘンで取り返そうとしたイギリス。

②自由貿易とは覇権国家の掲げる「正義」である
(19世紀のイギリス)

4.フランス
①フランス革命の「人権宣言」でいうところの
「人間」とはあくまで「財産を持つ者」であり、
無産者や女性は人間とはみなされなかった。

②フランスの女性参政権は非常に遅く1944年。
(日本は1945年)

③1793年ジャコバン憲法の封建的貢租の無償廃止により、
すべての土地を農民に分け与えた。
領主(貴族)は所有地を追われた。
(私は今でもフランスに貴族は生き残っていると
勘違いしていました)

④フランス革命とナポレオンが残したものはナショナリズム。
国民意識の形成では、
国王というシンボルに代わって、
国旗や愛国心、自由や平等、憲法や議会、独立という
シンボル操作が行われた。

⑤労働者の参政権の要求を「民主」と表現する。

5.アメリカ
①南北戦争前はUSA are ….戦後からUSA is ….に変わった。

②合衆国憲法修正第14条(1868年)は、
もともと奴隷制度廃止のために作られた条項だった。
州の法律で黒人の選挙権を認めないことについて、
連邦最高裁判所は1883年に合法と認め、
1896年には分離政策にも合憲判断を下す。

③黒人の参政権は1964年の公民権法
(ジョンソン大統領、民主党)の時。

④ラテンアメリカはCIAがコントロールした。
USAの方針は反共主義なら独裁者でも容認。

⑤1804年ハイチが独立、世界で初めての黒人共和国。

6.中国
中国では農民反乱で王朝が倒れるが、
ほかの歴史世界ではない。
なぜか中国でしか起こらない
非常に不思議な現象である。

6.南米のポプリスモ(人民主義)
社会の広範な支持を背景に
独裁政治をとりながら経済成長を進める。
社会主義に接近するかもしれない
労働者運動を敵対視することもない。

7.開発独裁(Authoritarian regimes)
独立後の経済発展のために
政治的安定を必要として生まれた体制で、
軍部主導もしくは軍部を味方につけている。
(イラン、ラテンアメリカ、韓国、台湾、東南アジア)

8.サンフランシスコ条約(1952年)
1949年の中華人民共和国の成立で、
焦ったアメリカには、日本の占領を早く終了させ、
日本とアジアを切り離す必要があった。

以上

日本語が亡びるとき

.23 2016 読書 comment(0) trackback(0)
「感動した!」

小泉純一郎ではないが本当に感動した。

新聞で水村美苗の記事を読み、著作を調べ、
この本のタイトルを見ておもしろそうだと思った。
ところがなんと、我が家の本棚の中にこの本があったのである。
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我が家では本棚が四か所に分散していて、
この本をいつ買ったのかまったく記憶がない。
詠み始めて分かったのだが、
第一章の途中まで読んでそのまま放置していたのである。

ヨーロッパではラテン語という<書き言葉>の<普遍語>があった。
グーテンベルク印刷機が発明があり、
ラテン語の聖書が口語俗語に翻訳されて、
やがて俗語革命を経て現地語の書き言葉ができた。
東洋では漢文という<書き言葉>の<普遍語>があった。
これが仏典を通じて朝鮮・日本・ベトナムに文字(漢字)が伝わり、
日本では2種類の仮名の発明をした。
西洋では一時期フランス語が<普遍語>になりかけたが、
アメリカ合衆国の出現とインターネットの時代になって
今や英語が世界の<普遍語>になってきた。
すべての学問・文芸は<普遍語(英語)>から現地語へ翻訳され、
現地語から<普遍語(英語)>へ翻訳されるようになった。

今や、日本語という現地語は亡びの危機に面している。

ざっとまとめるとこういうことになるのかもしれないが、
2008年出版され2009年に小林秀雄賞を受賞したこの本を
私がまとめたり論評したりするのはおこがましいし、間違うもとだろう。
以下に、本の中で私が感動した部分を原文のままコピペするので
それで味わってほしい。

大学入試にでも出て来そうな本なので、
受験の高校生にも読ませたい本だ。
とにかく本書を一読されることを強くお勧めする。
横浜市立図書館でも、あちこちの図書館で書架公開中なので、
予約をかければ簡単に読めそうだ。



原題。
「日本語が亡びるとき_英語の世紀の中で」 水村美苗 著

本の帯のコピペ。
「西洋の衝撃」を全身に浴び、豊かな近代文学を
生み出した日本語が、いま「英語の世紀」の中で
「亡びる」とはどういうことか?
日本語と英語をめぐる認識を深く揺り動かし、
はるかな時空の眺望のもとに鍛え直そうとする
書き下ろし問題作が出現した!
一章_アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々
二章_パリでの話
三章_地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々
四章_日本語という<国語>の誕生
五章_日本近代文学の奇跡
六章_インターネット時代の英語と<国語>
七章_英語教育と国語教育

p95
「日本文学のような主要な文学(une litérature majeure)を書いているあなたとは比べられませんが・・・」
(フランス語圏出身のイスラエルの大学教授)

p101 
日本近代文学が存在したという事実が世界の読書人のあいだで知られていること。それは、日本近代文学が優れていたことを、必ずしも意味するのではない。そもそも日本近代文学の存在が世界に知られたのは、日本が真珠湾を攻撃し、慌てたアメリカ軍が敵国を知るため、日本語ができる人材を短期間で養成する必要にかられたのが一番大きな要因である。アメリカの情報局に雇われた中でも極めて頭脳優秀な人たちが選ばれて徹底的に日本語を学ばされ、彼らがのちに日本文学の研究者、そして翻訳者となったのであった。エドワード・サイデンスティッカー、ドナルド・キーン、アイヴァン・モリスは海軍で、ハワード・ヒベットは陸軍で。ほぼ同世代で、戦前の日本に育ったスコットランド人のエドウィン・マックレランも、翻訳者となった。
1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、そのように英訳があったおかげである。

p174 
まずは<現地語>でかかれたものの地位が高く、<現地語が>成熟していたこと。
つぎに「印刷資本主義」があったこと。
これらが明治維新以降、日本語が名実ともにはやばやと<国語>として成立するのを可能にした、二つの、歴史的な条件である。だが、この二つは必要な条件ではあったが、充分な条件ではなかった。日本語がかくもはやばやと<国語>になったのには、もう一つ、絶対に欠くことができなかった三つ目の歴史的な条件があった。
それは、 日本が西洋列強の植民地にならずに済んだ ということにほかならない。

p264
グローバルな<文化商品>とは、ほんとうの意味で言葉を必要としないもの---ほんとうの意味で翻訳を必要としないものでしかありえない。グローバルな<文化商品>といえばハリウッド映画がその代表だが、今や収益の五割以上を輸出に頼っているハリウッドの映画産業は、制作費が巨額な映画ほど、輸出用にわざと台詞を少なく抑え、捉えにくい個別的な<現実>を描こうとする代わりに、人類に共通する神話的世界を描こうとしている。目をみはるほどの勢いで進化するCGの技術を駆使しながら、これまた目をみはるほど古くさい壮絶な善悪の戦いが氾濫する所以である。商業主義のハリウッドであるからこそ、翻訳というものの困難を充分に承知しているのである。

p265
くり返し問うが、今、漱石ほどの人材が、わざわざ日本語で小説なんぞを書こうとするであろうか。

p296
翌年の1966年、ついに国語審議会の総会で、当時の文部大臣であった中村梅吉が「当然のことながら 国語の表記は、漢字かなまじり文にする ことを前提」とすると述べる。文部省が進めようとしてきた漢字排除論に初めておおやけに休止符がうたれたのは、前島密が「漢字御廃止之儀」を上申してからちょうど百年後であった。

p297
思うに、 日本から真に漢字排除論が消滅したのは、ここ二十年ぐらいのこと である。経済の急速な成長によって中国という国が存在を増し、その中国が、たとえ日常的に使う文字は簡体字に変えたとしても、漢字は使い続けるという意思を持っているのがはっきりと見えてきたからである。また、コンピューターという技術革新のおかげで、漢字はかってのように「不便なもの」でも、ポピュリズムと相反するものでもなくなったからである。

p306
だが、表記法を使い分けるのが意味の生産にかかわる・・・
p307
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

という例の萩原朔太郎の詩も、最初の二行を

仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し

に変えてしまうと、朔太郎の詩のなよなよと頼りなげな詩情が消えてしまう。

フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し

となると、あたりまえの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまう。
だが、右のような差は、日本語を知らない人にはわかりえない。

蛇足だが、この詩を口語体にして、

フランスへ行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い
せめて新しい背広をきて
気ままな旅にでてみよう

に変えてしまったら、JRの広告以下である。

以上
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