藤井聡太に先を越された

.13 2017 読書 comment(0) trackback(0)
先日、藤井聡太の特集番組をNHKでやっていた。
彼の愛読書が、沢木耕太郎の「深夜特急」だという。
「あちゃー。ガキに先を越された」

実は、私より1年半前に生まれた、同じ団塊の世代の
沢木耕太郎という作家を、私は全く知らなかったのだ。
たまには、随筆でも読んでみるかと、
つい最近、図書館で「馬車は走る」という
彼の本を、たまたま、手にしたのがはまりのはじまりだった。
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最初の章が、
「帰郷」 というタイトルで、
趙治勲のソウル棋聖戦のルポルタージュだったのだ。
囲碁好きの私としては、これは読まずばなるまいと思ったわけである。

韓国人のいまだに日本に対して持っている恨み、
そして朝鮮語をうまく話せない趙治勲。
私はどんどん引き込まれていった。

その後の章は、
「シジフォスの四十日」 石原慎太郎の最初の都知事選での敗戦
「帝」 山田泰吉 中部観光
「その木戸を」 小椋佳
「オケラのカーニバル」 多田雄幸 沖縄海洋博覧会の太平洋横断レース
「奇妙な航海 三浦和義」 ロス疑惑
「走る馬車に乗って」 ----- 長いあとがき

この著作を、横浜市立図書館では
916のルポルタージュに分類していた。
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なるほど、彼はルポルタージュ作家なのか。
語尾に age がつくのはフランス語の男性名詞である。
Reportage ルポルタージュをフランス語の辞書で引いてみると、
「;探訪,現地報告,報道番組;ルポルタージュの仕事」
となっている。

私は、一人の作家を読み始めると、引きずる癖がある。
次に借りたのが、

「危機の宰相」
戦後日本の高度成長という「青春」時代を、
いったい誰が演出し、実現したのか。
それを1960年に始まる「所得倍増」に求め、
この言葉の由来から筆者は説き起こしている。
池田勇人:皮膚病で死にかけた大蔵省の三等赤切符組
田村敏雄:満州→シベリア抑留から生還した同じく大蔵省三等赤切符組。
宏池会(こうちかい)の資金管理人。
下村治: 肺結核で死にかけた同じく大蔵省三等赤切符組。
所得倍増論の理論的支柱。
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「酒杯を乾して」
F1、オリンピック、ワールドカップサッカーなどスポーツのルポ。

「男と女」
檀一雄の妻、檀ヨソ子のインタビューをもとに書き起こした、
檀一雄の伝記ノン・フィクションと檀一雄が住んだポルトガル紀行。

後半は沢木耕太郎の父の伝記と介護ルポ。

ここまで読んできて、次はどれにしようかなと思っていたら、
藤井聡太が「深夜特急」を愛読しているというではないか。
早速、電車の中でスマホから図書館のHPにアクセスして予約をかけた。
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確かに面白い。
これが、日本の若者のバックパッカーブームを起こした本のようだ。
横浜国大を出て丸の内の会社に就職したものの、
入社の最初の出勤日に退職したという、
伝説を持つ作者ならではルポルタージュだ。

藤井聡太に遅ればせながら今これを読んでいる。

ところで、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの本は
「わたしを離さないで」しか読んでいないので、
近くの本屋に足を運んだところ、
まだ特別なコーナーはできていなかった。
おそらく早川書房から本が入手できないのだろう。

代わりに入り口のプロモーション棚にこんな本を発見した。
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作者の名前はない。
日本将棋連盟編集となっている。
いったいこの本の印税は誰に行くのだろうか、
本人のところに少しは行くのかね?

こんなことを疑問にし始めて、
沢木耕太郎のルポルタージュの題材にされた人にも
印税が行くのだろうかと思ったりしたが、
多分それはないのだろう。

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刀狩り

.14 2017 読書 comment(0) trackback(0)
藤木久志著 「刀狩り」岩波新書(2005年初版)を読みました。
が~んと頭を殴られたような衝撃がありましたので紹介しておきます。
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黒澤明監督の「七人の侍」という映画(1954年)がある。
戦国の世も終わろうとする頃、戦場が閉ざされ、稼ぎ場を失って盗賊と化した野伏たちの夜襲を避けようと、村では七人の浪人者に頼んで守ってもらうことにする。村に雇われた浪人たちは、なんとか村人にも自衛の仕事を手伝わせようとするが、映画に登場する百姓たちは、戦いにはまるで無気力で、刀の持ち方ひとつ知らない。

秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという「常識」がつくられてきたが、
こういう武装解除された丸腰の民衆像というのはまったくの虚像であったというのが
著者藤木久志の研究結果である。

この常識は非常に根強く、これにとらわれた数多くの誤りが見受けられる。
① 堀田善衛の小説「海鳴りの底から」(島原の乱がテーマ)
② 羽仁五郎の百姓一揆の階級闘争説。
③ 丸山眞男「豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されてきた国民も珍しい」

実態はどうであったか。
百姓や民衆は自衛権の象徴たる刀を取り上げられることに非常な抵抗をした。
結局、武士以外は二本の刀を差すことを禁じられたが、昼間はともかく、夜間外出や旅立ちの時は町人といえども短い脇指をさしていたのである。
脇指の寸法は一尺八寸(54cm)以内と決められていた。
(これでも私の個人的な感想からすると十分長いですよね)
鉄砲は戦国時代が終わると村を害獣(猪、鹿、熊)などから守る農具として広く普及し、藩が保有する鉄砲の数より村々が保有する数が圧倒的に多かった。

明治維新の廃刀令が出たとき、
滋賀県裁判所が司法省にあてた問い合わせ内容が非常に面白い。
① これまでの慣習では、帯刀といえば長刀か双刀を帯びることをいい、脇指という短刀を帯びるのは帯刀といいませんが、それでいいのですか。
② それとも、こんどの布告にいう帯刀とは、双刀か短刀かの別なく、いっさいの金刃を携帯することを禁止するのですか。
③ もしそうなら、公然と腰に刀を帯びるのではなく、身を護るために、短刀を懐にしたり、鎗身を杖に仕込んだり、あるいは袋や荷物の中に刀を入れて、ひそかに通行するのも、禁止の対象となるのですか。
④ 公布の趣旨は、いっさいの凶器を携行して通行するのを禁止する、というのではないのですか。身を護るため銃や鎗を携行することも認めるのですか。もし、理由もなく、常に短銃や短鎗などを携える者がいたら、罰せざるをえないですが、それまでもすべて不問にするのですか。

これが当時の常識だったのである。
今でもアメリカの銃規制法案が通らないのは、これと同じ理由ではないのか。

日本の一般大衆の本当の武装解除は、戦後のGHQの強力な強制のもとに初めて成し遂げられたのである。

「イチョウ 奇跡の2億年史」 ピーター・クレイン

.09 2017 読書 comment(0) trackback(0)
この本の巻頭にゲーテの詩がある。
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ギンコー・ビロバ

はるか東方のかなたから
わが庭に来たりし樹木の葉よ
その神秘の謎を教えておくれ
無知なる心を導いておくれ

おまえはもともと一枚の葉で
自身を二つに裂いたのか?
それとも二枚の葉だったのに
寄り添って一つになったのか?


こうしたことを問ううちに
やがて真理に行き当たる
そうかおまえも私の詩から思うのか
一人の私の中に二人の私がいることを

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
1815年9月15日

こうして始まるこの本は340ページにわたる
大論文であり、世界中の学者、日本の学者の
説を丁寧に引用している。
巻末に90頁もの索引と引用文献と
脚注がついているのだ。

銀杏の歴史(まとめ)
世界中の古生代の地質から
あの独特の扇形をした葉の化石が出てくる。
2億年前からイチョウの祖先は生き続け、
6500年前の恐竜絶滅の大変動も生き延びた。
しかしその後の寒冷期に減退していき、
ヒトの出現期である大氷河時代に入るころには
ほとんど絶滅寸前になっていた。
中国の四川省と貴州省のあたりで生き残っていた
イチョウが
11世紀の宋代の文書に出てくるようになり
13世紀の元代に栽培されるようになった。
イチョウは、日本では勅撰和歌集にも
源氏物語にも枕草子にも出てこず、
15世紀中期の「埃嚢鈔(あいのうしょう)」
という本に初めて登場する。
来日したドイツ人ケンペルが1712年に
出版した「廻国奇観」という本において絵入りで
初めてヨーロッパに紹介した。
18世紀にはイチョウの木はヨーロッパで栽培
移植され世界中に植えられ、今も愛されている。


この本は、イチョウの歴史だけでなく、
植物の歴史を色んなエピソードを実に豊富に
ちりばめながら語っている。以下に面白そうな
エピソードをピックアップする。

①「地球上の大半の生態系を支え、
農業と文明生活のすべてのエネルギーのもとを
生み出しているのは光合成だ」
(確かに、光合成する植物なしには、
すべての動物は生きてゆけない)

②短枝の葉は扇形で、
シーズン後半に長枝にできる葉には
深い切れ込みがある。

③新潟県小千谷市の木喰観音堂の仏像は、
木喰上人の作品でイチョウ材に彫られている。

④雄木に雌木を接ぎ木しても、
その枝は独立性を保ち、
葉の出る時期も紅葉する時期もほかの枝と違う。

⑤1896年平瀬作吾郎はイチョウの精子が繊毛で
泳いで卵に到達したのを観察し、その2か月後に
池野誠一郎はソテツの精子が泳ぐのを観察した。
翌年2人は共同論文を発表し、世界を驚かせた。

⑥山梨県身延の3本のイチョウの木には、
葉の端に種子や花粉嚢が形成された。これにより
イチョウはシダから進化したことが分かった。

⑦鶴岡八幡宮で実朝暗殺事件(1219年)が
おこった当時の記録「吾妻鏡」「愚管抄」には
暗殺者の衣装まで書かれているのに、
イチョウの木には一切触れていない。
暗殺者がイチョウの陰に隠れていたという話は
事件から400年後の「鎌倉物語」に初めて
出てくる。鶴岡八幡宮のイチョウの樹齢は
500~600年である。
(日本におけるイチョウ文化史の二大研究者の
堀志保美と堀輝三の研究による)

⑧ Ginkgo の命名由来
ケンペルがGinkyoと書くところを間違えて
Ginkgo と書いたのをリンネがそのまま承認して
しまったからだということになっている。
しかし、ケンペルの出身地である北ドイツでは、
ヤ・ユ・ヨの音を「g」で書き表すことが多い。

⑨青森県 北金ヶ沢に大銀杏が存在することを
この本で知った。
いつか見て訪れてみたいところが
またできてしまった。

片桐はいりの随筆

.01 2017 読書 comment(0) trackback(0)
ゲンちゃんの現代国語で
高橋源一郎をうならせた素晴らしい文章。
彼が朗読したのは
片桐はいり「わたしのマトカ」の一節である。

黒と白のチェッカー柄の小さな箱に入った
フィンランドの飴を食べたときの話である。

>>>
「しかし、今回のは想像を絶していた。
わたしのなかのコンピューターが一時混乱し、
これまでの全データをもとに
必死で検索をしているのが分かる。
脳が、箱の柄と同じ白黒の市松模様になる。
あまりのことに、口に入れたものを吐き出すべきか、
飲み込むべきかを判断する能力さえもなくしていた。」

また別なところでは

>>>
「ブスなくせに乱暴な女と懇ろになったら
逆に深みにはまるのかもしれない。」

>>>
「おたがい英語が不自由だったおかげで、
言葉より確かなまごころを受けとってしまった。」

>>>
ジーパンに小さな足型のスタンプをひとつ押されて、
わたしの農場への入国審査は終わった。

片桐はいりって誰だ?
さっそく調べてみる。
片桐はいり
へー、「精霊の守り人」を書いた 上橋菜穂子
と中学高校で同級生だったんだ。


すぐに図書館サイトで予約をかけた。
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「わたしのマトカ」は
彼女がフィンランドで撮影された 「かもめ食堂」 に出演した時のことを
綴った随筆であった。

猛然と映画 「かもめ食堂」 が見たくなり、
雨の中をTSUTAYAまで出かけていき
DVDを借りてきた。
かもめ食堂01
こういうほのぼのとした話もいいね。

撮影現場のこの店は、今やフィンランドを訪れる
日本人観光客のメッカになっているらしい。
かもめ食堂02 (480x319)

天気が悪いときはこういう本を読んで
チンしているほうがいい。


茶色の朝 Matin Brun

.28 2017 読書 comment(0) trackback(0)
なぜこの本を読もうとしたのか思い出せない。
私は机の上に常にノートを置いていて
何かの時にメモを取る。
「茶色の朝 フランク・パブロフ著」
とノートにメモが残っていたので、
図書館の予約サイトで予約をかけた。
翌日すぐにご用意ができましたと
メールが届いたのだ。
今朝、この本を受け取りに行った。
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薄いわずか47ページの絵本である。
本文はわずかに12ページ。
30分もかからずに読めてしまう。
後半に高橋哲哉東大教授の解説が13ページもついている。
解説のほうが長い。
(はっきり言うが、私は高橋教授の超左翼的な考えには賛同していない)

12ページの本文のあらすじを書くのもおこがましいが、
「ある日、茶色以外の犬や猫を飼ってはいけないという法律が施行される。
黒のラプラドールや白黒の猫は殺処分にされるのだ。
そのうち何でも茶色でなくてはならないという風になってくる」
というお話である。

フランスでは les chemises brunes = 茶シャツ隊
= ナチスの別名なのだそうである。
知らず知らずのうちに世の中が茶色に染められてくるということは
ファシズムが忍び寄ってくるということだという寓話なのである。
フランスではルペン国民戦線党首が大統領選挙の
決選投票に残った2002年にこの本が爆発的に読まれ、
日本では2003年12月に翻訳が出版されている。
遅ればせながら私も今頃になって読んだわけだ。

これはどうかとも思うので紹介はしないが、
図書館で予約しなくても、
ネットで探せば全文を載せているサイトがあった。

高橋教授の解説はともかくとしても、
一度は読んでみてもいいかなという本である。

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