刀狩り

.14 2017 読書 comment(0) trackback(0)
藤木久志著 「刀狩り」岩波新書(2005年初版)を読みました。
が~んと頭を殴られたような衝撃がありましたので紹介しておきます。
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黒澤明監督の「七人の侍」という映画(1954年)がある。
戦国の世も終わろうとする頃、戦場が閉ざされ、稼ぎ場を失って盗賊と化した野伏たちの夜襲を避けようと、村では七人の浪人者に頼んで守ってもらうことにする。村に雇われた浪人たちは、なんとか村人にも自衛の仕事を手伝わせようとするが、映画に登場する百姓たちは、戦いにはまるで無気力で、刀の持ち方ひとつ知らない。

秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという「常識」がつくられてきたが、
こういう武装解除された丸腰の民衆像というのはまったくの虚像であったというのが
著者藤木久志の研究結果である。

この常識は非常に根強く、これにとらわれた数多くの誤りが見受けられる。
① 堀田善衛の小説「海鳴りの底から」(島原の乱がテーマ)
② 羽仁五郎の百姓一揆の階級闘争説。
③ 丸山眞男「豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されてきた国民も珍しい」

実態はどうであったか。
百姓や民衆は自衛権の象徴たる刀を取り上げられることに非常な抵抗をした。
結局、武士以外は二本の刀を差すことを禁じられたが、昼間はともかく、夜間外出や旅立ちの時は町人といえども短い脇指をさしていたのである。
脇指の寸法は一尺八寸(54cm)以内と決められていた。
(これでも私の個人的な感想からすると十分長いですよね)
鉄砲は戦国時代が終わると村を害獣(猪、鹿、熊)などから守る農具として広く普及し、藩が保有する鉄砲の数より村々が保有する数が圧倒的に多かった。

明治維新の廃刀令が出たとき、
滋賀県裁判所が司法省にあてた問い合わせ内容が非常に面白い。
① これまでの慣習では、帯刀といえば長刀か双刀を帯びることをいい、脇指という短刀を帯びるのは帯刀といいませんが、それでいいのですか。
② それとも、こんどの布告にいう帯刀とは、双刀か短刀かの別なく、いっさいの金刃を携帯することを禁止するのですか。
③ もしそうなら、公然と腰に刀を帯びるのではなく、身を護るために、短刀を懐にしたり、鎗身を杖に仕込んだり、あるいは袋や荷物の中に刀を入れて、ひそかに通行するのも、禁止の対象となるのですか。
④ 公布の趣旨は、いっさいの凶器を携行して通行するのを禁止する、というのではないのですか。身を護るため銃や鎗を携行することも認めるのですか。もし、理由もなく、常に短銃や短鎗などを携える者がいたら、罰せざるをえないですが、それまでもすべて不問にするのですか。

これが当時の常識だったのである。
今でもアメリカの銃規制法案が通らないのは、これと同じ理由ではないのか。

日本の一般大衆の本当の武装解除は、戦後のGHQの強力な強制のもとに初めて成し遂げられたのである。
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「イチョウ 奇跡の2億年史」 ピーター・クレイン

.09 2017 読書 comment(0) trackback(0)
この本の巻頭にゲーテの詩がある。
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ギンコー・ビロバ

はるか東方のかなたから
わが庭に来たりし樹木の葉よ
その神秘の謎を教えておくれ
無知なる心を導いておくれ

おまえはもともと一枚の葉で
自身を二つに裂いたのか?
それとも二枚の葉だったのに
寄り添って一つになったのか?


こうしたことを問ううちに
やがて真理に行き当たる
そうかおまえも私の詩から思うのか
一人の私の中に二人の私がいることを

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
1815年9月15日

こうして始まるこの本は340ページにわたる
大論文であり、世界中の学者、日本の学者の
説を丁寧に引用している。
巻末に90頁もの索引と引用文献と
脚注がついているのだ。

銀杏の歴史(まとめ)
世界中の古生代の地質から
あの独特の扇形をした葉の化石が出てくる。
2億年前からイチョウの祖先は生き続け、
6500年前の恐竜絶滅の大変動も生き延びた。
しかしその後の寒冷期に減退していき、
ヒトの出現期である大氷河時代に入るころには
ほとんど絶滅寸前になっていた。
中国の四川省と貴州省のあたりで生き残っていた
イチョウが
11世紀の宋代の文書に出てくるようになり
13世紀の元代に栽培されるようになった。
イチョウは、日本では勅撰和歌集にも
源氏物語にも枕草子にも出てこず、
15世紀中期の「埃嚢鈔(あいのうしょう)」
という本に初めて登場する。
来日したドイツ人ケンペルが1712年に
出版した「廻国奇観」という本において絵入りで
初めてヨーロッパに紹介した。
18世紀にはイチョウの木はヨーロッパで栽培
移植され世界中に植えられ、今も愛されている。


この本は、イチョウの歴史だけでなく、
植物の歴史を色んなエピソードを実に豊富に
ちりばめながら語っている。以下に面白そうな
エピソードをピックアップする。

①「地球上の大半の生態系を支え、
農業と文明生活のすべてのエネルギーのもとを
生み出しているのは光合成だ」
(確かに、光合成する植物なしには、
すべての動物は生きてゆけない)

②短枝の葉は扇形で、
シーズン後半に長枝にできる葉には
深い切れ込みがある。

③新潟県小千谷市の木喰観音堂の仏像は、
木喰上人の作品でイチョウ材に彫られている。

④雄木に雌木を接ぎ木しても、
その枝は独立性を保ち、
葉の出る時期も紅葉する時期もほかの枝と違う。

⑤1896年平瀬作吾郎はイチョウの精子が繊毛で
泳いで卵に到達したのを観察し、その2か月後に
池野誠一郎はソテツの精子が泳ぐのを観察した。
翌年2人は共同論文を発表し、世界を驚かせた。

⑥山梨県身延の3本のイチョウの木には、
葉の端に種子や花粉嚢が形成された。これにより
イチョウはシダから進化したことが分かった。

⑦鶴岡八幡宮で実朝暗殺事件(1219年)が
おこった当時の記録「吾妻鏡」「愚管抄」には
暗殺者の衣装まで書かれているのに、
イチョウの木には一切触れていない。
暗殺者がイチョウの陰に隠れていたという話は
事件から400年後の「鎌倉物語」に初めて
出てくる。鶴岡八幡宮のイチョウの樹齢は
500~600年である。
(日本におけるイチョウ文化史の二大研究者の
堀志保美と堀輝三の研究による)

⑧ Ginkgo の命名由来
ケンペルがGinkyoと書くところを間違えて
Ginkgo と書いたのをリンネがそのまま承認して
しまったからだということになっている。
しかし、ケンペルの出身地である北ドイツでは、
ヤ・ユ・ヨの音を「g」で書き表すことが多い。

⑨青森県 北金ヶ沢に大銀杏が存在することを
この本で知った。
いつか見て訪れてみたいところが
またできてしまった。

片桐はいりの随筆

.01 2017 読書 comment(0) trackback(0)
ゲンちゃんの現代国語で
高橋源一郎をうならせた素晴らしい文章。
彼が朗読したのは
片桐はいり「わたしのマトカ」の一節である。

黒と白のチェッカー柄の小さな箱に入った
フィンランドの飴を食べたときの話である。

>>>
「しかし、今回のは想像を絶していた。
わたしのなかのコンピューターが一時混乱し、
これまでの全データをもとに
必死で検索をしているのが分かる。
脳が、箱の柄と同じ白黒の市松模様になる。
あまりのことに、口に入れたものを吐き出すべきか、
飲み込むべきかを判断する能力さえもなくしていた。」

また別なところでは

>>>
「ブスなくせに乱暴な女と懇ろになったら
逆に深みにはまるのかもしれない。」

>>>
「おたがい英語が不自由だったおかげで、
言葉より確かなまごころを受けとってしまった。」

>>>
ジーパンに小さな足型のスタンプをひとつ押されて、
わたしの農場への入国審査は終わった。

片桐はいりって誰だ?
さっそく調べてみる。
片桐はいり
へー、「精霊の守り人」を書いた 上橋菜穂子
と中学高校で同級生だったんだ。


すぐに図書館サイトで予約をかけた。
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「わたしのマトカ」は
彼女がフィンランドで撮影された 「かもめ食堂」 に出演した時のことを
綴った随筆であった。

猛然と映画 「かもめ食堂」 が見たくなり、
雨の中をTSUTAYAまで出かけていき
DVDを借りてきた。
かもめ食堂01
こういうほのぼのとした話もいいね。

撮影現場のこの店は、今やフィンランドを訪れる
日本人観光客のメッカになっているらしい。
かもめ食堂02 (480x319)

天気が悪いときはこういう本を読んで
チンしているほうがいい。


茶色の朝 Matin Brun

.28 2017 読書 comment(0) trackback(0)
なぜこの本を読もうとしたのか思い出せない。
私は机の上に常にノートを置いていて
何かの時にメモを取る。
「茶色の朝 フランク・パブロフ著」
とノートにメモが残っていたので、
図書館の予約サイトで予約をかけた。
翌日すぐにご用意ができましたと
メールが届いたのだ。
今朝、この本を受け取りに行った。
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薄いわずか47ページの絵本である。
本文はわずかに12ページ。
30分もかからずに読めてしまう。
後半に高橋哲哉東大教授の解説が13ページもついている。
解説のほうが長い。
(はっきり言うが、私は高橋教授の超左翼的な考えには賛同していない)

12ページの本文のあらすじを書くのもおこがましいが、
「ある日、茶色以外の犬や猫を飼ってはいけないという法律が施行される。
黒のラプラドールや白黒の猫は殺処分にされるのだ。
そのうち何でも茶色でなくてはならないという風になってくる」
というお話である。

フランスでは les chemises brunes = 茶シャツ隊
= ナチスの別名なのだそうである。
知らず知らずのうちに世の中が茶色に染められてくるということは
ファシズムが忍び寄ってくるということだという寓話なのである。
フランスではルペン国民戦線党首が大統領選挙の
決選投票に残った2002年にこの本が爆発的に読まれ、
日本では2003年12月に翻訳が出版されている。
遅ればせながら私も今頃になって読んだわけだ。

これはどうかとも思うので紹介はしないが、
図書館で予約しなくても、
ネットで探せば全文を載せているサイトがあった。

高橋教授の解説はともかくとしても、
一度は読んでみてもいいかなという本である。

蜜蜂と遠雷

.27 2017 読書 comment(0) trackback(0)
しゃべりが上手いとか文章が上手いとかは
やはり特別な才能なのだろうか。
先日の将棋NHK杯戦決勝の解説を聞いていて
中村太地六段と山崎隆之八段のおしゃべりの
うまさに感心していたものだが、

今日、恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読んで、
文章を書くというのはやはり特殊な才能かと思った。
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物語はあるピアノコンクールに参加した
4人のピアニストを中心に進む。
コンクールの中で葛藤するそれぞれのピアニストの心の中を
そして演奏している曲をこれでもかこれでもかと解説するのだ。
音楽を言葉で解説できるというのは凄い。
クラシック音楽をろくに知らない私でも読めるのだから、
クラシック愛好家、特にピアノが弾ける人は
この本をもっと面白いと感じるに違いない。

ちょっと、気になった文章を抜き書きしてみる。
p220
音楽は、常に「現在」でなければならない。博物
館に収められているものではなく、「現在」を共に
「生きる」ものでなければ意味がないのだ。綺麗な
化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標
本だからだ。
p363
「僕、ピアノを教えてくれた先生と約束したんです。
狭いところに閉じこめられている音楽を広いところ
に連れ出すって」


物語の中で出てきた曲で私がきいてみたかった曲。
エリック・サティ「あなたがほしい」"Je te veux"

世の中にはもの好きな方がいるもので、
「蜂蜜と遠雷」 三次予選に出てくる曲を
すでにYoutube にアップしてくれている。
https://youtu.be/_JOEK-Qp9OY?list=PLFXm2CyyoSE2ehDSvFhFh_6Q81N9cruOO

恩田陸に初めて出会ったのは読売新聞の連載からである。
そして「夜のピクニック」をDVDで見て本も読んだ。
20歳の20冊リストの中にこれが入っていたからだ。
これからも面白い小説を書いてくれるに違いない。

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