「イチョウ 奇跡の2億年史」 ピーター・クレイン

.09 2017 読書 comment(0) trackback(0)
この本の巻頭にゲーテの詩がある。
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ギンコー・ビロバ

はるか東方のかなたから
わが庭に来たりし樹木の葉よ
その神秘の謎を教えておくれ
無知なる心を導いておくれ

おまえはもともと一枚の葉で
自身を二つに裂いたのか?
それとも二枚の葉だったのに
寄り添って一つになったのか?


こうしたことを問ううちに
やがて真理に行き当たる
そうかおまえも私の詩から思うのか
一人の私の中に二人の私がいることを

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
1815年9月15日

こうして始まるこの本は340ページにわたる
大論文であり、世界中の学者、日本の学者の
説を丁寧に引用している。
巻末に90頁もの索引と引用文献と
脚注がついているのだ。

銀杏の歴史(まとめ)
世界中の古生代の地質から
あの独特の扇形をした葉の化石が出てくる。
2億年前からイチョウの祖先は生き続け、
6500年前の恐竜絶滅の大変動も生き延びた。
しかしその後の寒冷期に減退していき、
ヒトの出現期である大氷河時代に入るころには
ほとんど絶滅寸前になっていた。
中国の四川省と貴州省のあたりで生き残っていた
イチョウが
11世紀の宋代の文書に出てくるようになり
13世紀の元代に栽培されるようになった。
イチョウは、日本では勅撰和歌集にも
源氏物語にも枕草子にも出てこず、
15世紀中期の「埃嚢鈔(あいのうしょう)」
という本に初めて登場する。
来日したドイツ人ケンペルが1712年に
出版した「廻国奇観」という本において絵入りで
初めてヨーロッパに紹介した。
18世紀にはイチョウの木はヨーロッパで栽培
移植され世界中に植えられ、今も愛されている。


この本は、イチョウの歴史だけでなく、
植物の歴史を色んなエピソードを実に豊富に
ちりばめながら語っている。以下に面白そうな
エピソードをピックアップする。

①「地球上の大半の生態系を支え、
農業と文明生活のすべてのエネルギーのもとを
生み出しているのは光合成だ」
(確かに、光合成する植物なしには、
すべての動物は生きてゆけない)

②短枝の葉は扇形で、
シーズン後半に長枝にできる葉には
深い切れ込みがある。

③新潟県小千谷市の木喰観音堂の仏像は、
木喰上人の作品でイチョウ材に彫られている。

④雄木に雌木を接ぎ木しても、
その枝は独立性を保ち、
葉の出る時期も紅葉する時期もほかの枝と違う。

⑤1896年平瀬作吾郎はイチョウの精子が繊毛で
泳いで卵に到達したのを観察し、その2か月後に
池野誠一郎はソテツの精子が泳ぐのを観察した。
翌年2人は共同論文を発表し、世界を驚かせた。

⑥山梨県身延の3本のイチョウの木には、
葉の端に種子や花粉嚢が形成された。これにより
イチョウはシダから進化したことが分かった。

⑦鶴岡八幡宮で実朝暗殺事件(1219年)が
おこった当時の記録「吾妻鏡」「愚管抄」には
暗殺者の衣装まで書かれているのに、
イチョウの木には一切触れていない。
暗殺者がイチョウの陰に隠れていたという話は
事件から400年後の「鎌倉物語」に初めて
出てくる。鶴岡八幡宮のイチョウの樹齢は
500~600年である。
(日本におけるイチョウ文化史の二大研究者の
堀志保美と堀輝三の研究による)

⑧ Ginkgo の命名由来
ケンペルがGinkyoと書くところを間違えて
Ginkgo と書いたのをリンネがそのまま承認して
しまったからだということになっている。
しかし、ケンペルの出身地である北ドイツでは、
ヤ・ユ・ヨの音を「g」で書き表すことが多い。

⑨青森県 北金ヶ沢に大銀杏が存在することを
この本で知った。
いつか見て訪れてみたいところが
またできてしまった。
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片桐はいりの随筆

.01 2017 読書 comment(0) trackback(0)
ゲンちゃんの現代国語で
高橋源一郎をうならせた素晴らしい文章。
彼が朗読したのは
片桐はいり「わたしのマトカ」の一節である。

黒と白のチェッカー柄の小さな箱に入った
フィンランドの飴を食べたときの話である。

>>>
「しかし、今回のは想像を絶していた。
わたしのなかのコンピューターが一時混乱し、
これまでの全データをもとに
必死で検索をしているのが分かる。
脳が、箱の柄と同じ白黒の市松模様になる。
あまりのことに、口に入れたものを吐き出すべきか、
飲み込むべきかを判断する能力さえもなくしていた。」

また別なところでは

>>>
「ブスなくせに乱暴な女と懇ろになったら
逆に深みにはまるのかもしれない。」

>>>
「おたがい英語が不自由だったおかげで、
言葉より確かなまごころを受けとってしまった。」

>>>
ジーパンに小さな足型のスタンプをひとつ押されて、
わたしの農場への入国審査は終わった。

片桐はいりって誰だ?
さっそく調べてみる。
片桐はいり
へー、「精霊の守り人」を書いた 上橋菜穂子
と中学高校で同級生だったんだ。


すぐに図書館サイトで予約をかけた。
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「わたしのマトカ」は
彼女がフィンランドで撮影された 「かもめ食堂」 に出演した時のことを
綴った随筆であった。

猛然と映画 「かもめ食堂」 が見たくなり、
雨の中をTSUTAYAまで出かけていき
DVDを借りてきた。
かもめ食堂01
こういうほのぼのとした話もいいね。

撮影現場のこの店は、今やフィンランドを訪れる
日本人観光客のメッカになっているらしい。
かもめ食堂02 (480x319)

天気が悪いときはこういう本を読んで
チンしているほうがいい。


茶色の朝 Matin Brun

.28 2017 読書 comment(0) trackback(0)
なぜこの本を読もうとしたのか思い出せない。
私は机の上に常にノートを置いていて
何かの時にメモを取る。
「茶色の朝 フランク・パブロフ著」
とノートにメモが残っていたので、
図書館の予約サイトで予約をかけた。
翌日すぐにご用意ができましたと
メールが届いたのだ。
今朝、この本を受け取りに行った。
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薄いわずか47ページの絵本である。
本文はわずかに12ページ。
30分もかからずに読めてしまう。
後半に高橋哲哉東大教授の解説が13ページもついている。
解説のほうが長い。
(はっきり言うが、私は高橋教授の超左翼的な考えには賛同していない)

12ページの本文のあらすじを書くのもおこがましいが、
「ある日、茶色以外の犬や猫を飼ってはいけないという法律が施行される。
黒のラプラドールや白黒の猫は殺処分にされるのだ。
そのうち何でも茶色でなくてはならないという風になってくる」
というお話である。

フランスでは les chemises brunes = 茶シャツ隊
= ナチスの別名なのだそうである。
知らず知らずのうちに世の中が茶色に染められてくるということは
ファシズムが忍び寄ってくるということだという寓話なのである。
フランスではルペン国民戦線党首が大統領選挙の
決選投票に残った2002年にこの本が爆発的に読まれ、
日本では2003年12月に翻訳が出版されている。
遅ればせながら私も今頃になって読んだわけだ。

これはどうかとも思うので紹介はしないが、
図書館で予約しなくても、
ネットで探せば全文を載せているサイトがあった。

高橋教授の解説はともかくとしても、
一度は読んでみてもいいかなという本である。

蜜蜂と遠雷

.27 2017 読書 comment(0) trackback(0)
しゃべりが上手いとか文章が上手いとかは
やはり特別な才能なのだろうか。
先日の将棋NHK杯戦決勝の解説を聞いていて
中村太地六段と山崎隆之八段のおしゃべりの
うまさに感心していたものだが、

今日、恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読んで、
文章を書くというのはやはり特殊な才能かと思った。
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物語はあるピアノコンクールに参加した
4人のピアニストを中心に進む。
コンクールの中で葛藤するそれぞれのピアニストの心の中を
そして演奏している曲をこれでもかこれでもかと解説するのだ。
音楽を言葉で解説できるというのは凄い。
クラシック音楽をろくに知らない私でも読めるのだから、
クラシック愛好家、特にピアノが弾ける人は
この本をもっと面白いと感じるに違いない。

ちょっと、気になった文章を抜き書きしてみる。
p220
音楽は、常に「現在」でなければならない。博物
館に収められているものではなく、「現在」を共に
「生きる」ものでなければ意味がないのだ。綺麗な
化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標
本だからだ。
p363
「僕、ピアノを教えてくれた先生と約束したんです。
狭いところに閉じこめられている音楽を広いところ
に連れ出すって」


物語の中で出てきた曲で私がきいてみたかった曲。
エリック・サティ「あなたがほしい」"Je te veux"

世の中にはもの好きな方がいるもので、
「蜂蜜と遠雷」 三次予選に出てくる曲を
すでにYoutube にアップしてくれている。
https://youtu.be/_JOEK-Qp9OY?list=PLFXm2CyyoSE2ehDSvFhFh_6Q81N9cruOO

恩田陸に初めて出会ったのは読売新聞の連載からである。
そして「夜のピクニック」をDVDで見て本も読んだ。
20歳の20冊リストの中にこれが入っていたからだ。
これからも面白い小説を書いてくれるに違いない。

サラセン帝国はもう存在しない

.14 2017 読書 comment(0) trackback(0)
私が課長になりたてのころ、部下の大卒新人(文系)に
「昔サラセン帝国というのがあっただろう?」
と聞いたときに、
その新人は
「いやー、聞いたことないですね。サラセンって何ですか?」
と逆に聞き返されてしまったことがあります。
その時に、私が高校で学んだ世界史と
今の若い人が習っている世界史は
どうも違うらしいということを知ったのです。

先日、新宿の紀伊国屋でたまたま、この本を見つけました。
「荒巻の新世界史の見取り図」(東進ブックス)です。
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予備校の先生?が書いた本なのですが、
ぱらぱらとめくってみると
私が勉強した高校の世界史の教科書とは全く違います。
戦争と項目の羅列を必死で暗記するのではなく、
背景や理由がわかるように書かれていて、
地図や説明図がふんだんに使われています。
しかも「ですます調」なのです。
私があまり勉強していない(受験範囲になかった)
現代史の部分(下巻)だけを買ってもよかったのですが
ついでに上巻と中巻も一緒に衝動的に買ってしまいました。

実に面白い。上中下を一気に読んでしまいましたよ。
今さらこの年になって大学受験をするわけではないので
項目を覚えようとしなくてもいいのですから
気楽に読めます。

世界史を流れで読むという観点からは
ウィリアム・H・マクニール「世界史」も面白かったのですが
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やはりこれは西洋人の観点から歴史を見ているので
納得できない部分も多々あります。

その点、荒巻先生は日本人ですし、
高校生の読む本ですからね。
分かりやすく書いてあります。


以下は、私の読書メモなので無視してください。
こうやって書いておかないとすぐ忘れてしまうので。

1.ゲルマン民族皆殺し(375年)はもうなくなっていた。
「民族」という言葉はとても難しい概念なので
昔は「ゲルマン民族」と言っていたのが
今では「ゲルマン人」と書く。

2.イスラームの章
①サラセンとはヨーロッパ人の蔑称なので今はこの言葉は使わない。
(だから、私の部下が知らなかったわけです)
「ブルターニュのそば」でサラセン粉(蕎麦粉)が20年前はあったのに。

②ローマ帝国とペルシアの係争地(シリア、イラク)
を避けて紅海ルートが栄えた→アラブ人の台頭

③イスラーム教徒とはいうが、イスラーム教とはいわない。
キリスト教、仏教、イスラーム、ヒンドゥー教

④「マホメット」も西洋人がそう呼んでいるだけで、今は「ムハンマド」
(ウィリアム・H・マクニール「世界史」ではマホメットといっている)

⑤イスラーム=アッラー(唯一神)に帰依すること

⑥ムスリム=イスラーム教徒

3.16世紀は銀で結ばれる世界。
①メキシコ銀、ペルー銀、日本銀が
絹・茶・陶磁器で銀の採れない中国に流れた。
その銀をアヘンで取り返そうとしたイギリス。

②自由貿易とは覇権国家の掲げる「正義」である
(19世紀のイギリス)

4.フランス
①フランス革命の「人権宣言」でいうところの
「人間」とはあくまで「財産を持つ者」であり、
無産者や女性は人間とはみなされなかった。

②フランスの女性参政権は非常に遅く1944年。
(日本は1945年)

③1793年ジャコバン憲法の封建的貢租の無償廃止により、
すべての土地を農民に分け与えた。
領主(貴族)は所有地を追われた。
(私は今でもフランスに貴族は生き残っていると
勘違いしていました)

④フランス革命とナポレオンが残したものはナショナリズム。
国民意識の形成では、
国王というシンボルに代わって、
国旗や愛国心、自由や平等、憲法や議会、独立という
シンボル操作が行われた。

⑤労働者の参政権の要求を「民主」と表現する。

5.アメリカ
①南北戦争前はUSA are ….戦後からUSA is ….に変わった。

②合衆国憲法修正第14条(1868年)は、
もともと奴隷制度廃止のために作られた条項だった。
州の法律で黒人の選挙権を認めないことについて、
連邦最高裁判所は1883年に合法と認め、
1896年には分離政策にも合憲判断を下す。

③黒人の参政権は1964年の公民権法
(ジョンソン大統領、民主党)の時。

④ラテンアメリカはCIAがコントロールした。
USAの方針は反共主義なら独裁者でも容認。

⑤1804年ハイチが独立、世界で初めての黒人共和国。

6.中国
中国では農民反乱で王朝が倒れるが、
ほかの歴史世界ではない。
なぜか中国でしか起こらない
非常に不思議な現象である。

6.南米のポプリスモ(人民主義)
社会の広範な支持を背景に
独裁政治をとりながら経済成長を進める。
社会主義に接近するかもしれない
労働者運動を敵対視することもない。

7.開発独裁(Authoritarian regimes)
独立後の経済発展のために
政治的安定を必要として生まれた体制で、
軍部主導もしくは軍部を味方につけている。
(イラン、ラテンアメリカ、韓国、台湾、東南アジア)

8.サンフランシスコ条約(1952年)
1949年の中華人民共和国の成立で、
焦ったアメリカには、日本の占領を早く終了させ、
日本とアジアを切り離す必要があった。

以上
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