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フランスの番地表示

.27 2010 フランスの生活 comment(0) trackback(0)
フランスでの番地表示は通りに沿って付けられている。
何もフランスに限ったことではなくヨーロッパの町は皆そうであるらしい。
日本のようにブロックごとではないのである。
道路の片側は奇数ばかりで1,3,5と並び、反対側は2,4,6という具合である。
通りのどちら側が奇数になるのか、どちらから番号がつくのかも定かでない。

この疑問はパリのタクシーの運転手さんから教えてもらってようやく解決した。
パリの運転手さんはおしゃべり好きが多く、いろいろなことを教えてくれる。
もっとも、これができるようになったのは、
フランスに住んで3年くらいたって耳ができてからである。
 
彼によると「何だ、そんなことは簡単さ。オテルドビル(市役所)を中心にして
若い番号を付けていくのさ、市役所から遠くなると番号も多くなるということですよ」
としごく明快であった。
なるほどなるほどと私は積年の疑問が氷解したことにすっかり有頂天になり、
ついどちら側が奇数・偶数になるのか聞くのを忘れてしまった。

考えるとまだ疑問は湧いてきて、
じゃあ市役所の方向に向かっている通りはよいが、
その通りと交わっている通りはどちらを始点にして番号を付けるのか、
番地を付けた後に2つの番地の間に新しい家ができたらどうするのかである。
しかし、日本でも各ブロックの番地は右回りか左回りか知らないのであるから、
細かいことを詮索してもしょうがないのである。
タクシーの運転手さんか郵便屋さんにでもならなければ必要ないかも知れない。

その後、16番地と18番地の間に、16bisという表示を見たことがある。
16’(ダッシュ)の意味であろうか。

このフランスの番地の付け方は、田舎の町だと非常に分かりやすい。
それはオテルドビル(町役場)が町の中心に位置しているからである。
知らない町に車で入っていくと必ずCentre(中心)という標識と
オテルドビルという標識が何回も出てくるので、
これに沿ってゆくと自然に町の中心に着く仕掛けになっている。
町の中心には、広場と教会と役場がある。
こういう配置だと確かに道路の名前を覚えたほうが早い。

 2人の子供は学校の友達の誕生パーティによく招待されるが、
必ず招待状を持って帰る。
この招待状に書いてある通りの名前を地図で必死に探して、
子供を相手の家まで送り迎えすることになる。
このようにして自然に通りの名前を覚えてゆくのであるが、
新しく赴任してきた日本人に道を教えるときは苦労する。

日本人は住所をブロック単位で覚える癖があるので、
大体の場所を目につきやすい教会などの建物、公園、広場、スーパーなどを
目印に教えることになる。
だいたい、日本では道路に名前が付いていない。
大きな道路は何号線という表示があるが、街中の小さい通りにはない。
恐らく市道何号線などという名前があるのであろうが、
知っているのは市役所の水道と道路を管理している部署の人だけだろうと思える。

町の名前も日本とフランスでは呼び方が違う。
日本では、相模大野、武蔵村山、岩見江津などと
地方の名前を頭につけて似たような町の名前を区分しているが、

フランスでは川の名前を後ろにつけて区分している。
たとえば、Neuilly sur Seineセーヌ河のそばのヌーイとか、
Noyal sur Vilaineヴィレーヌ川のそばのノワイヤルというふうである。

イギリスでも、シェーークスピアの生まれた町は
Stratford upon-Avonアボン川のそばのストラットフォードという。

フランスやヨーロッパの川や通りをもとにした名前や番地表示の方法と、
日本のように地域や集落をもとにした名前や番地の付け方の違いは、
いったいどこから来たのであろうか。

番地というものが歴史的に古いものであれば、
日本は中国の制度を真似ているはずであるから、
中国や韓国も日本と同じようなブロック別の表示になっていると想像するが、
番地表示が都市化が進んだ現代になってできた制度であれば、
日本特有の文化であろう。

フランスやヨーロッパを車で旅してみればわかることだが、
行けども行けども山がない。
延々と続く田園風景の地平線に尖ったものが見えてきたなと思ったら
小さな町の教会の尖塔であり、
Dinan copy

その町を過ぎたらまた田園風景である。
同じ景色の繰り返しである。

日本は至るところに山がありその形が違うので地域の区分がしやすいのではなかろうか。

あるいは農耕民族のため土地の定住性が強く、あまりよそに旅をする習慣がなかったか?

結局、ヨーロッパではローマ人の作った街道、
中世の発達した河川や運河による水上交通の路線を
しるべにして町の位置を特定したのであろうと思われる。

面で表すか線で表すか、番地表示の東西文化の違いを論文にすれば、
大学の社会科学科の卒業論文くらいにはなると思えるのだが。

ブルターニュのそば

.26 2010 フランスの生活 comment(0) trackback(0)
夏のある日、
ラボールというブルターニュ半島の南岸にある海水浴場からの帰りであった。
ずっと続く田舎道の風景を助手席からぼんやり眺めていた私は突然叫んだ。
「止めて、止めてくれ」
運転していた家内は「なによ、びっくりするじゃない」
「そばだ、そばだ、そばに違いない。みんなで降りて見よう」
道の隣に白いそばの花が一面に咲いていた。
IMG_8872 (480x360)

「ほんとうに、そば?」と家内は聞く。

私の小さいころ、祖母が畑にそばを植えて、年越し蕎麦を手で打ってくれた。
家内は同じ田舎育ちだがそばの畑を見たのはこれが初めてだという。
もちろん子どもたちも初めてだ。
「不思議ね。日本でも見たことないのに、フランスでみるとはね。
これがそばなのね。かわいい花じゃない」

ブルターニュ地方で生まれて世界に伝播した食べ物がある。

クレープである。

イタリアのピザほどではないが、今では日本でも認知されているようだ。
レンヌの町のいたるところにクレッペリー(クレープ屋)があり、
そこそこ繁盛しているようだ。
Creperie Dinan
(ディナンという町のクレッペリー)

フランス風ファーストフードというか、待ち時間が少ないので、
我が家の息子たちにも人気がある。
パリのクレッペリーは殆どブルトン(ブルターニュ出身者)が経営している
ということを聞いたことがある。

食べ方は、まず最初にギャレットという茶色の皮のクレープを注文する。
クレープ皮のなかに、卵、きのこ、チーズ、ハム、トマトなどを包んで焼いてある。
これをコンプレット(セット料理とでもいう意味か)といい、
これだけで結構おなかいっぱいになる。
Galette 004

飲み物はシードルというリンゴ酒がよく合い、陶器の茶碗で飲むのである。
シードルにはbrut辛口、semi-brut中辛、doux甘口と3種類あるのが、
ギャレットのときはbrutがよい。

次にデザートのかわりに普通の白い皮のクレープを頼む。
バターだけ、はちみつ、チョコレート、いちごジャム、あんずジャムなど
いろいろ種類があり甘口でよい。
最後にコーヒーを頼むかどうかは別として、昼食としては十分である。
日本からのお客様には機会があれば昼食にはクレッペリーに連れていくことにしていた。

クレープは小麦粉であるが、ギャレットはそば粉でできている。
ブルターニュは昔土地がやせていたので小麦が取れず、そばを栽培していたと聞く。
ブルターニュ半島の南側に Lorient ロリオンという美しい港町がある。
ロリオンの語源は L'Orient すなわちオリエントである。
大航海時代はこの街にインド会社がおかれていたくらいであるから、
昔から東方貿易をしていたのであり、そばもアジアから持ち込まれたのであろう。
以上のことは、我が家の家庭教師から教えてもらったことである。

そば粉はスーパーでサラセン粉という名前で売っている。

家内が「ねえ、サラセン粉でギャレットができると聞いて買ってきたんだけど、
これどうみてもそば粉よねえ」という。
確かにそば粉である。
「これで、そばを打ってみようか」と家内は言う。

家内は麺棒を使って格闘していたが、待つこと一時間、
「できたわよ」
食卓の上にドンブリが四つ、そばが湯気を立てていた。
「お母さん、やったね」
はふ、はふ、ずる、ずる、それはまさに正真正銘のそばだった。
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