新聞

.31 2010 新聞 comment(0) trackback(0)
フランスの新聞は政治色が鮮明である。

例えばフィガロは保守系、ルモンドは社会党系、リベラシオンは共産党系などと聞く。
しかし、これらの新聞は有名ではあっても
いわゆるパリの新聞であり、発行部数も百万部とはないはずである。

レンヌで最も多くの人に読まれているのがウエスト・フランス紙であって、
フランスで最大の発行部数を誇っているとのことである。
直訳すると西フランス新聞となるが、ブルターニュ地方だけでなく、
ノルマンディー地方やロワール地方でも発行されているらしい。
いわゆる地元密着型の新聞である。

この新聞は宅配もしているが、
私は一週間に一度、土曜の朝市で立ち売りのおばさんから5フラン(100円)で買って、
帰りに市役所前広場のカフェでエスプレッソを飲みながら目を通すのを習慣としていた。

同紙には世界的な記事や全国的な記事ももちろん載っているが、
圧倒的に多いのは地元の記事である。
よくもまあこれだけ毎日書くことがあるもんだと感心するくらいである。

ブルターニュ共通版の後、レンヌ市、隣のセッソンセヴィーニェ市、
XX町、XX村などとページが割いてあり、
それぞれに、XXさんの家で子豚が18匹生まれ、この地方の新記録だとか、
XX地区小学校水泳大会でXX君が優勝したとか、
レンヌに一軒しかない帽子屋夫婦の談話、
誰々がどこそこに新しいレストランを開店などという記事で埋まっている。

記事の中に誰かしら自分の知っている人が登場しているので
余計に興味を持って読めるのであり、楽しみでもある。
私の息子たちも日本語補習校の関係で写真が載ったことがあり、スクラップしてある。
私の会社の記事もよく出るが、会社の記念セレモニーなどは新聞記者を呼ぶし、
ISO14000の環境保証の認証取得など宣伝材料は積極的にリリースするからである。

地元の人が真っ先に読むのが慶弔欄であるらしい。
中ほどに見開きの両面を使って、
左側に死亡通知、会葬御礼、右側に誕生通知、結婚式の出席御礼がびっしりとある。
自分が聞き洩らした親しい人の慶弔を知って、
あらためてお悔やみやお祝いの電話をするのである。
地元の人の心の交流を新聞が仲立ちしているのである。

土曜日の朝市で新聞を買う目的はほかにもある。
それは週末の催し物を探すためである。
郊外の博覧会場で牛の品評会、ワインやキャンピングカーの展示会、
美術展、屋外演劇の案内、競技会、
隣町の古いシャトーが日曜日に特別公開などという情報が載っているので、
週末のちょっとした暇つぶしによいのである。

日本に帰ってきて横浜市の住人になったが、
ただ住んでいるというだけで、地域の一体感は感じられない。
言葉はいくらでも通じるのにである。
それとも、日本とフランスとの違いではなく、田舎と都会の差であろうか。

(注)為替レート:このブログで出てくる値段は、
当時の為替レート1フラン=20円、
1ユーロ=6.650フラン x 20円=133円で換算していますので、ご了解ください。
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ドイツ人と魚

.30 2010 フランスの生活 comment(0) trackback(0)
ドイツにも兄弟工場があり、
時々その工場から日本人がドイツ人を連れて出張に来る。

ドイツ人はフランス語がしゃべれないし、
当社にもドイツ語をしゃべれるフランス人はいない。
お互いおぼつかない英語でやり取りを始めるのだが、そのうち
日本人が間に入って通訳するほうが仕事が速くはかどるということに気づく。
そうなると、ドイツ人もフランス人もほっとした顔になる。

ドイツ語から日本語へ、日本語からフランス語へ、
フランス語から日本語へ、日本語からドイツ語へと
いうやりとりで、ドイツ人の質問にフランス人が答えるという、
実に可笑しい光景が展開する。

「おい、日本語というのはインターナショナルな言葉だよな」
と日本人同士が笑うことになる。

その晩、夕食はドイツ人の選択により、
ミュンヘンというドイツ料理のレストランにした。
アルザス風シュークルートや一人前がソフトボールほどもあるブタ腿の丸焼きなど
ドイツ人もすっかりご満悦であった。

その席でドイツの日本人曰く、
「いいよな、フランス組は魚が食べられて。ドイツには魚がいないんだよ。
大体ドイツ人は魚の名前を知らないんだ。サケ以外は知らないよ、賭けてもいいよ」

そこで、ドイツ人に魚の種類は何を知っているかと質問した。
「うーん、フィッシュ?サーモン」と彼は答えた。
「他には?」
「アー、知らない」
「そんなことはないだろう、確かシューベルトの曲にトラウト(鱒)というのがあったよね」
「そうそう、マスは知っている」
「他には?」
「うーん、やっぱり思いだせない」
人のよさそうなドイツ人は本当にすまなさそうに言うのである。

 翌日、ドイツ人を先に帰したのち、残った日本人が
「どうだ、本当だったろう。ドイツ人はサーモン以外はみな、
これはフィッシュだとしか言わないんだ」と得意げに言う。

彼の話によると、
ドイツ人と結婚した日本人女性がご主人の母親と同居することになった。
お母さんに気に入られようとして、
その日本人女性は毎晩一生懸命新しい献立を考えて料理したそうだ。
義母は最初のうちは美味しい美味しいと言ってくれたが、
一週間たった時たまりかねたように言ったそうだ。
「もういい加減にしてくれない、あたしゃ、毎晩毎晩、
今晩は何が出てくるかと思うと心配で心配でたまらないんだよ。
夕食はふかしたジャガイモとソーセージとパンに決めてくれないかね」

この話はアムステルダムの販売会社の日本人との夕食でも出てきた。

「オランダ人と結婚した日本人女性が・・・」

どうも、ドイツ人もオランダ人も食べることに執着しない、食べられれば良い、
ということらしい。

Tutoyer トュトゥワイエー

.29 2010 フランス語 comment(0) trackback(0)
Tutoyerとは2人称にTuを用いて話すことである。

フランス語の教科書には夫婦・恋人や親しい友人の会話で使われると記載がある。
しかし、それ以上の詳しい説明はどの教科書にも載っていない。

しかし、しかしである。
「子供に対しては必ずTuでなければならない」
とはどこにも書いていない。

たぶん、フランス語の教科書を書くような大学の先生方は、
若いころフランスで勉強されたのであろうが、
子連れで生活されたことがないのではないかと推察している。

我が家の子供たちは日本で長男が小学校1年生、
次男が幼稚園の年中さんを卒業してフランスに来たが、
このレンヌの町にはパリのように日本人学校があるわけではない。
しかたなくアパルトマンから歩いて3分のところにある
公立のルイーズ・ミッシェル小学校に入学させた。
(ルイーズ・ミッシェルは調べると、教育者でもあったが、
フランス革命時の無政府主義者で有名であった。)

しばらくすると、クラスの友達から誕生パーティに招待されるようになった。
そのうち、息子の誕生日が近づいてきたので、
やはりお返しに我が家でも誕生パーティを開こうということになった。
子供たちが親に連れられてくる。
親はあいさつの後、何時ころに引き取りに来ますからよろしくと言って帰る。
その後が大変である。

私も家内も、普段はTuの活用は使っていないので、
ついつい子供相手にVousで話しかけてしまうのである。
たまたま相手が2人以上いるときはVousは複数を表わすので問題はないが、
子供の一人が遊びの輪から抜けて来て私たちに話しかけてきた時が問題である。
油断してVousとやるとひどく怪訝そうな顔をされてしまう。

子供の場合を除くとどういう状況でTutoyerで話すのか甚だ判断に困る。
学生さんは初対面でも「ねえ、君」とやるらしい。
会社の中ではフランス人はほとんどTuで話している。
しかし、日本人は日本の習慣がこびりついていて、
あまり砕けた言い方は相手に失礼だし、
自分もばかにされているようでなじめない。

まあ、いいじゃないか、外部のお客さんと話すときはVousなんだからと、
ついついTuの活用を覚える努力を怠るのである。

レンヌの朝市 その2 左ヒラメの右カレイ

.28 2010 フランスの生活 comment(0) trackback(0)
最初に朝市に行った時の驚き。
私と家内は同時にウワーと叫んでいた。
鯖が氷の上でピーンと反り返っていたのである。
我々夫婦は日本海の海岸の町の出身で新鮮な魚に慣れていたのだが、
直前まで住んでいた茨城県のある市ではほとんど魚を食べないので、
新鮮な魚に飢えていたのである。

鯖は捕りたてのときは死後硬直で氷の上で反り返り、
時間がたつと氷の上にヘナーと横たわるのである。

レンヌの朝市は日本で売っていない魚はないといってよいほど種類が豊富である。
タコ、イカ、ウニも売っている。
イカは種類が多く、剣先イカ、紋甲イカ、やりイカのほかに名前のわからないイカがいる。
朝市イカ

さすがにフグとブリはいない。

特に種類の多いのがヒラメ、カレイのたぐいである。

俗に「左ヒラメの右カレイ」という。

魚の腹を手前にしたときに左側に目があればヒラメ、
頭が右に来ればカレイだと日本ではいうのである。

あれは嘘だということをフランスで勉強した。

ヒラメでも右に目があるのもいるし、カレイでも左利きがいる。
まれにであるが全く同じ魚で右と左がいる。
少しずつ形や色の違うヒラメやカレイに
みな違うフランス語の名前が付いているのには本当に驚いた。
左目と右目のカレイ(ただし日本で撮影)
(左目と右目のカレイ、ただし日本で撮影)

魚選びが終わると、最初の建物に入る。
そこは食品雑貨売り場という感じで、
自家製パン、自家製ケーキ、鶏肉、卵、鹿の肉、はちみつ、
生のフロマージュ(チーズ)、手作りジャム、中華総菜、ヴェトナム総菜などなど。

自家製とひとめでわかる豆一盛り、ジャガイモ、鳥2羽だけをならべている
節くれだった手をした農家の老人がいる。

「誰が買ってあげるんだろうね」
「ご贔屓がいるんだろ」と言って通り過ぎる。

ここで買うのは、茶色の地鶏の卵(一ダース200円)と中国人のもやしと決めていた。

最後の建物は肉屋だけである。
数えたことはないが20軒ではきかない。
ぶた専門、牛専門、鳥専門、うま専門、パテ、ソーセージ、ハム、
どの店で買っても似たようなものだと思うが、
人気のある店と人のあまり並んでいない店がある。
自然に行きつけの店が決まってくるようで、
我が家も、ぶたミンチの置いてある地中海系のひとの店と、
テキパキとした客さばきのうまい太った金髪のおばさんのパテ屋がご贔屓になった。
このパテ屋のソーセージとパテは逸品である。

(注)為替レート:このブログで出てくる値段は、
当時の為替レート1フラン=20円、
1ユーロ=6.650フラン x 20円=133円で換算していますので、ご了解ください。

レンヌの朝市

.28 2010 フランスの生活 comment(0) trackback(0)
私たちの住むレンヌ市はパリの西方350kmのところにある。

ブルターニュ地方の入口にあり、
日本の東北地方の入口にある仙台と地勢的歴史的によく似た町である。
後背地が中央文化から取り残された異民族の地であり、
その入口にあって地方で一番大きな町である。
rennes-S.jpg
大学があり学生の多い街でもある。
レンヌ大学はさしずめ東北大学といったところかなどと言っていると、
なんとレンヌ市と仙台市は姉妹都市で
仙台市役所の職員が派遣されてきていたのである。

ともあれ、直径6kmほどの外周道路に囲まれた人工23万人の町、
周囲のベッドタウンを入れても30万人そこそこのほどよい田舎の都会である。

なかでも気に入っているのが土曜の朝市である。
1720年のレンヌ大火でも焼け残った旧市街のプラス・ド・リス(闘技場広場)で
朝6時から午後1時までやっている。
アパルトマンから博物館のような郵便局を通り抜け、
市役所前広場を横切って片道15分ほどの散歩を
家内とともに楽しむのが週末の最初の仕事でもある。

朝市は帽子屋の前の花市から始まる。
季節の花々を飾る10軒ほどの花屋を抜けると、
朝市花01
次は果物屋と八百屋が通り道の両脇にずらっと並び、
呼び込みの声が途端に喧しくなる。
朝市入口

ちょっと色の黒いアラブがかったおばさんが叫んでいる。
朝市アラブおばさん
「アレ、アレ、メッシュダム、今日はオレンジが安いよ、
エスパーニャから今朝着いたばかりで新鮮だよ」

野菜果物はかさばるし重いので帰りに買うのである。
それに果物屋と八百屋は数え切れないほどあるので焦ることはないのだ。

階段を下って広場に入ると魚屋が20軒ほど集まったコーナーがある。
魚屋といっても、いわゆる魚屋のほかに、
オマールとかにだけ売っている店もあれば、
朝市オマール

朝市カニ

牡蠣だけ売っている店もあるし、
朝市カキ

ムール貝だけを山盛りにして売っている漁師のおばさんもいる。
寒くなると牡蠣だけの店が増える。
レンヌから北へ車で40分も行けば大漁港のサンマロがあり、
南に1時間半でヴァンヌ港に着く。

ブルターニュは海に囲まれた魚介類の宝庫である。

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