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Drink Drive (皮付き)

.25 2010 フランスの生活 comment(2) trackback(0)
Drink Drive これは英語でしょうか。

と聞くと大方の人が、これは日本人が作った英語じゃないの、というだろう。
ナイターのようなものではないかと考えるのが普通だ。
直訳すると「飲酒運転」、わかりやすいことこの上ない。
でもこれは英語である。
オーストラリアのシドニーで道路の電子表示板に点滅するこの表示を見たときは
へーと感心したものだ。

今、ネットで検索してみると、ちゃんと出てきますね。
やはりオーストラリアの飲酒運転防止のビデオが出てきました
(You Tube : Drink Drive Twin Girls (Australia)。
またイギリスのマンチェスターの新聞記事もありました。
どうもイギリス系の英語らしい。

似た表現で、Drink Driving, Drunk Driving, Drink and Drive などがヒットしたが、
こちらのほうはアメリカの英語らしいですね。

drink_drive[1]
酒飲んで 行き着く先は 死体安置所

この写真の出典は http://adoholik.com/index.php?tag=drive


ところでフランス語では、飲酒運転は何と言うのでしょう?

私がフランスにいた90年代の初めにはたぶん飲酒運転に相当するフランス語はなかったと思う。
飲酒運転という概念がそもそもなく、
マックがフランスに進出を始めたころで、
コカコーラを飲むくらいならワインを飲もうというキャンペーンがあったくらいだから。


「皮付きに行きませんか」というのが帰りに一杯やりませんかという誘い言葉であった。

「皮付き」というのはレンヌの町はずれにあるバーのことで、
ビールのつまみに皮付きの落花生を出すので、日本人駐在員の間でそう呼ばれていた。
とくにそういう誘いがなくても、
夏の暑い帰りにはよく冷えたビールをきゅっとやりたいという誘惑には勝てない。
夏時間のため、夕方6時だというのに、お日様はまだ高い所にあるからである。

店の前の道路の反対側は路肩が3mくらいあって、いくらでも駐車できるので、
そこにさしかかった時は減速して探せば、必ず見知った車が数台あるのが常であった。
店に入って仲間に合流すると、後から仲間がだんだん増えて、
気がつくと10人になっていたなどということもしょっちゅうあった。

 店は若夫婦がやっていた。
誰かが日本の出張時のお土産で買ってきた小さい法被を夫婦の赤ん坊に着せ、
「これはハッピーといってお祭りに着る服だから縁起がいいんだ」
と盛り上がったりした。

我々はいつも大量にビールを飲んでくれるので上得意でもあり、愛想も良かった。
ビール一杯は200円だが普通のフランス人の客は
一杯か二杯のビールかワインを飲んだら帰るので、
せいぜい400円しか落としていかない。
日本人グループはわいわい騒いでビリヤードやサッカーゲームに興じ、
割り勘にして一人1000円も払うのであるから本当に上得意も上得意であった。
もうひと組の上客は店の隣にあるルノー販売店のセールスマンの一団である。

 フランスのバーではおつまみなどというものはめったになく、
皮付きの落花生をだすこの店は珍しい部類に入る。
落花生の茶色い皮を山のように積み上げながらビールを飲んでいたのだが、
これでは物足りないと、ある時誰かが、
フロマージュ(チーズ)をアンデ(賽の目)に切り、爪楊枝をさして持ってこい、
これが日本ではつまみになるのだと教えたのが始まりだった。
そのうちジャンボン(ハム)も同じようにさせたし、
オリーブやキュウリの酢漬けも出させるようにしたので、すっかりレパートリーが増えた。
我々がそういうものを注文するので、
ルノーのセールスマン達もあれはなんだということになって、
彼らも注文するようになり、店の売り上げに新メニューは大いに貢献した。

11月の第三木曜日はボジョレヌーボーの解禁日で、
スーパーで買えば一本440円のボジョレを540円で飲ませた。
この日はレンヌ大学の学生さんも集まって、歌を歌い夜遅くまで騒いだものである。

ある日、この店を悲劇が襲った。

その原因を作ったのは我々日本人駐在員である。
この店ではなかったが、市内のバーで飲んだ私の部下の一人が大事故を起こしたのである。
街中で5台か6台の駐車中の車にぶつけて警察に捕まった。
何とか免停と罰金だけで済んだものの、
やはりこれはいかん、自粛しようということになった。
私も部下の監督不行き届きということで社長に始末書を出した。

全員車通勤だったので、その時以来、飲酒運転は一切禁止という通達を出し、
幹部から模範を示さなければならないということで、
接待でお客様とレストランに行くときも
いったん自宅に帰ってからタクシーで行くこととした。

したがって、レンヌの入り口にある「皮付き」で飲むためには、
いったん店の前を通り過ぎて家まで帰り、車を置いて、
バスかタクシーかで店まで引き返すしかない。
そこまでしてこの店に来る者はいない。
あれほど通った日本人がばったり来なくなったのである。
売り上げは激減したに違いない。
一週間ほどして、一人を店に行かせ事情を説明させた。
主人は理解はしたものの、相当しょげていたそうである。

この店は、私が帰任するまでは経営者も変わらず持ちこたえてくれたので、
少しは心も軽くなった。

日本人駐在員に対する飲酒運転禁止措置は、
最初は必ずしもフランス人会社幹部の理解を得たわけではない。
彼らは「会社が会社外での従業員の行為に責任を持つ必要はない」という。
確かに、過去にフランス人従業員の一人が職務質問を振り切って逃げようとして、
ジャンダルム(警察)に撃ち殺された事件があったが、
会社の名前は一切新聞には出てこなかった。

しかし、会社ができてまだ10年しかたっていない。
700人の新たな雇用を生み、事業税も法人税もしっかり払っており、
地域経済に貢献して、ようよう会社のブランドが地域に根付いてきたときである。
レンヌの町で日本人がようやく認知されてきたところでもある。

しかし、所詮エトランジェ(よそ者)である。

米軍が沖縄で嫌われるようになったのは、
一人の心ない米兵が女の子に乱暴したことに端を発する。
今回の事故は車をこすっただけのことだが、
もし事故で人をあやめたりしたら、どういう反応が起こるか分からない。

そういう意味で、
日本人駐在員は好むと好まざるとにかかわらず、
日の丸と会社のブランドを背中にしょわざるを得ないのだ。


という説明をしたら、フランス人幹部は全員「ダコー、ダコー」であった。

その後、フランスで飲酒運転がどれだけ厳しく取り締まられているかは知らない。

日本では
1999年11月の東名高速の用賀料金所の飲酒運転による追突事故で
幼い子供が2人焼死し、
2006年8月の福岡の市職員の飲酒運転による追突事故で橋から車が落ち
やはり幼い子供が2人おぼれ死んで、
国民感情では今や飲酒運転は殺人と同じレベルで見られるようになった。

私の会社でも、今や飲酒運転は即懲戒解雇になるし、
従業員が連続して飲酒運転を起こした子会社の社長の首は
すぐに挿げ替えられてしまった。

私もお酒は日本酒もワインも大好きであるが、
懲戒解雇で退職金が出なくなったら、老後の生活が成り立たない。
用心を重ね、たくさんの送別飲み会をこなして
無事定年を迎えられたことを一番喜んでくれたのは家内である。

(注)当時の物価は90年代前半の為替レート1フラン=20円、
1ユーロ=6.65フランx20円=133円で換算しています。

再び ドイツ人と魚

.24 2010 フランスの生活 comment(4) trackback(0)
 人生いたるところ青山ありという。
本当にそうだと思う。
私なぞは18の年に島根から花の都東京に出てきてから、
数えてみると14回住むところを変えている。
それぞれのところで新しい人に出会い、その土地を愛してきた。
またそうでもしないと生きてゆけない。

中でもフランスのブルターニュは8年間を過ごし、
私の人生の中では故郷に次いで最も長く住んだところである。
子育てに必死な時であったから余計に愛着がある。

だから、私はフランス大好き人間であるし、このブログを立ち上げたのだ。

 同じように、ドイツが大好きな人がいた。
私と同じ親会社のドイツの工場で働いており、
ある時ブルターニュの私の工場へほかの日本人駐在員と出張でやってきた。

あらかじめ金曜日に仕事が終わるように日程が調整してあったので、
土曜日のレンヌの朝市に案内した。
彼らはドイツの会社の日本人の同僚から頼まれて魚を土産に持って帰るべく、
アイスボックスを持ってきたのである。

11月の寒い土曜日であった。

 ホテルから朝市に行く途中でも何軒かの魚屋がある。
店先にカキやぱっくりと口を開けた殻つきのホタテ貝が山積みになっているのを見て、
彼らは「ウオー」と叫び、もう興奮状態である。
「まあまあ、興奮しなさんな。朝市に行けばもっとすごいから」と私がなだめる。

朝市の魚屋のブロックでさらに彼らは吠えた。
「見てくださいよ、あの小エビの山。ピチピチと動いていますよ。
なんでこんなにカキ屋が多いんですか」
私と家内は、目移りしてややもすると立ち止まる彼らの袖をひっぱり、
まぐろの大トロを探した。
もうそろそろマグロはお終いになる季節だから、
ほかの日本人に先を越されてはいけないのだ。
あった。ちょうど3切れ、手ごろな大きさのトロの切り身があり、
我が家も一切れ買った。

「これがトロですか。ウッシッシ。ところでもっとないですかね、
社長にも土産に頼まれているんですが」
別な店に行くとさらに2切れ見つかって、
「これでみんな喜ぶぞ」

 これで一応お土産の所期の目標は達成したわけだが、もっと何か買って帰りたいという。
「奥さんは、魚は捌けるの?」
「ヒラメかカレイなら簡単だから大丈夫じゃない。
カレイなら一夜干しにするくらいだから日持ちもするし」
という家内のアドバイスに従ってカレイを買わせた。

さらに、オマールやイセエビを売っている店の前で一人が立ち止まって動かない。
「これが昨夜のレストランで食べたオマールですか。高いなー。」
やがて決心したように、
予算を大幅に超過するがぜひ買って帰って、奥さんにも食べさせてやりたいという。
「簡単な料理法はないですかね」
「身の部分は刺身にして、残った殻を味噌汁にぶち込むとものすごく贅沢な味噌汁になるわよ」
ということで、結局オマールを一尾買うことになった。

帰りの行きつけのカフェで彼らの一人がしみじみと言った。

「豊栄さんは幸せですね、フランスに住めて」

「なんで?」

「私は学生の時にドイツに留学してドイツが大好きになりました。
たまたまやはり留学していた日本人の家内と知り合って結婚したのですが、
家内も私も日本に帰りたくないと思っておりました。
ちょうどそのころ、今の会社がドイツ語をしゃべれる日本人を
現地採用するという募集をしていて、採用してもらったわけです」

「運がよかったじゃない」

「そうなんですが、若かったから世間を知らなかったというか、
ドイツが一番だと思っていたんですよ。
もっとヨーロッパを旅行してみればよかったですね。
もっともその当時はお金もなかったし。
最初からフランスに留学していればよかったなと思いますよ。
今日みたいに新鮮な魚を見せられるとね」

「ドイツも悪くはないんじゃないの。人生いたるところで青山ありだよ。
結局住んだところが一番じゃないの。
イギリスでも、イタリアでもスペインでもギリシャでも、
そこに住みついて日本に帰るのが嫌になった日本人はたくさんいるよ」

「でも、魚が食べられないですからね」

家族手当

.23 2010 フランスの生活 comment(4) trackback(0)
 昨日は半袖、今日は防寒着。まるで混迷した日本の政治のような天気だ。

 定年退職して、皆さんが働いているのに、昼日中にテレビが見られるなんて、
なんという幸せかと思いながら、国会劇場を楽しんでいたが、
いい加減に厭きてしまった。

「総理、貴方は株の配当だけで年間84百万円あるそうですが、
これは年収3百万円の人の何倍になりますか」

「内閣総理大臣」

「27倍か28倍になると思いますが」

「不規則発言(ヤジのこと)で28倍と言っているのに、
なんで27倍か28倍なんですか。こんな計算ができないんですか。
84割る3くらいの計算は小学校でも教えていますよ」

 こういう馬鹿なやりとりも最初はおもしろかったのだが、
まともな政策論議をせずに、政治資金の話ばかりでは厭きてしまう。
このブログで他人の誹謗中傷はしたくはないが、
総理とかいう人のあほさ加減に嫌気がさしてきて、余計に国会中継が面白くなくなるのだ。
6月になれば自分で自分の首を絞めて辞めるだろうから、あと少しの辛抱かな。

 ほとんど議論らしき議論をしなかったとはいえ、子供手当が国会を通過した。
一人でも子供がいれば月12000円もらえるのだからすごい話である。
これで、女性が子供を産む気になって出生率が上がるのであろうか。
フランスで家族手当(2人目から子供一人につき月12000円)があったから
出生率が上がったのだという見方があるが、私は違うと思う。

 社会がもっと女性にやさしい社会になり、女性がもっと働きやすい環境を作ってやらないと
子供をもう一人産んでみようかという気にはならないのではないかと思うのである。

 この面ではフランスは本当に先進国だ。出産費用はタダだし、
おむつが取れてピッピ(おしっこ)とカッカ(うんち)が言えるようになれば
保育園で預かってくれるし、
もちろん給食費を除いて無料である(給食費も月収に応じて変わる)。
当然、出産休暇も育児休暇もあるし、
学校への送り迎えを含めた教育のための時短も認められている。
また、子供が病気になれば、医者が診断書をすぐに書いてくれて、親が休むことができる。
こうすれば多少給与は安くても、共働きで生活は維持でき、女性が働こうかという気になる。

 病院でも、熱を出した子供を連れていくと並んで診察を待っている人々が、
順番を譲ってくれるというか、早く医者に見せろと言ってくれる。これに感激した日本人は多い。

 日本ではどうか。
いずれ保険で返ってくるかもしれないが最初に高い出産費用を払い、
保育所に入れたくても順番待ちで空きがないし、有料である。
出産休暇や育児休暇は大企業では認められても、中小企業では有名無実に等しい。
企業に「次世代育成行動方針」を定めてやれなどと言っているが、
大体お役所はどうなのか。
どこかの区長さんが、育児休暇を取ったのは率先垂範ですばらしいことだと思う。

出生率を上げるためには、
子供手当を配る前に、整備することがたくさんあるだろうと私は言いたい。
子供手当を原資にすれば、保育園の充実だって、大抵のことはできそうに思える。

こういうことにかけては、私の意見はフランスかぶれと言ってよい。

私もフランスにいるときは
2人目の子供について月12000円の家族手当(アロカシオン・ファミリエ)をお国からもらっていた。
自動的にもらえるのではなく、申請が必要で、
誰も教えてくれなかったので、ようやく1年くらいたってから気付いて申請したものである。
(私が帰国してから所得制限ができて、今では日本人赴任者は家族手当をもらえなくなったらしい)

 そのかわり、フランスは社会保険料(医療・労災・雇用・年金などなど)がやたらと高い。
当時の給与明細(ブルタンドペイ)をみると、
名目給与総額(サレール・ブルット)に対し
個人負担が15%、会社負担が38.5%、合計給与の53.5%を
社会保険料として支払っていた。
そのうちアロカシオン・ファミリアルは全額会社負担だが給与の5.4%を支払っていた。

 日本だと個人負担と会社負担を含めて約25%なので2倍以上である。

 だから、私としては、たくさん払ったうちの少しを返してもらったというような気分でしかいなかった。

 フランスの出生率上がったのは、
家族手当を目当てに子供を産んだり、
子供を連れて不法入国した移民のせいではないかと、
私自身は勝手に疑っているのだが、
移民の問題はこの次に書いてみたい。

つかの間の横浜の春(桜第4ステージ)

.22 2010 あざみ野近辺 comment(2) trackback(0)
我が家の前の桜は、
①寒緋桜 ②しだれ桜 ③染井吉野 ④八重桜とウコン桜 ⑤山桜
の順に咲くので、ただいまは第4ステージに入ったところだ。
隣のおじいさんが河津桜を新たに2本植えたので、
将来は寒緋桜が2番目になるかもしれないが。
とはいうものの、今年は毎日冷たい雨が降り、
なかなか花見というわけにもいかない。

今日は久々の好天で暖かい。 
朝、本屋大賞が昨日決定し、村上春樹の「1Q84」を抑えて、
冲方丁(うぶかたとう)の「天地明察」が受賞したというニュースをやっていた。
本屋の店員さんが選ぶこの賞の本は、面白さという点で、はずれがない。
また時代小説ということなので、夫婦で時代小説ファンの我が家としては、
ミーハー的でも早速本屋に走らなければならない。
まして、主人公は私の大好きな碁打ちの安井算哲?

ついでにこのブログのためデジカメを携行して、
本屋までの往復道中で撮った写真12枚を
横浜の春としてこの日記に残しておくこととした。

01.ウコン桜(遠景)
花に弱い緑色が入った淡い黄色で、本来は鬱金(ウコン)色の桜という意味が、
いつのまにか「左近の桜と右近の橘」と混同されて、
右近の桜ともいう。別名、黄桜。
01ウコン桜遠景S


02.ウコン桜(拡大)
02ウコン桜拡大S


03.八重桜(赤と白)(遠景)
03八重桜(赤と白)遠景S


04.八重桜(赤と白)(拡大)
04八重桜(赤と白)拡大S

   
05.幼稚園児
遠くの道路を横切って行ったので、いい写真が撮れると追っかけたのだが、
以外と足が速く後ろ姿しか撮らせてくれなかった、残念。
05幼稚園児S


06.ご近所の石楠花
すぐご近所にこんなに立派なシャクナゲがあるなんて知りませんでした。
06ご近所の石楠花S


07.馬酔木(あせび)
07馬酔木(あせび)S


08.紫木蓮
08紫木蓮S


09.まだあった土筆
09まだあった土筆S

   
10.もうすぐツツジ
10もうすぐツツジS


11.名前不明の花
11名前不明の花S


12.芽吹き中の街路樹
 三色旗のお店はこの辺で評判のパン屋さん。
12芽吹き中の街路樹S


それにしても、汗ばむほど暑かった今日。
まるで初夏のようだった。
明日から、また寒い日に変わるとのこと。
体調管理にお気を付けください、といわれてもねえ。

イノシシ事件

.21 2010 フランスの生活 comment(2) trackback(0)
島根の田舎から竹の子を送ってきた。
宅急便の段ボールの箱が熱い。
竹の子が呼吸をしている。
今年はイノシシが竹林を掘り返して
いつもの年より採れる量が少ないとのことである。
田舎も過疎化が進んで、イノシシが勢力を伸ばしているのかもしれない。

ブルターニュでは忘れられない事件がある。

会社への通勤途上にレンヌの森がある。
5kmくらいの直線道路になっていて、
半分がなだらかな上り、途中からなだらかな下りになっている。
対面交通道路なので制限速度は時速90kmであるが、
見通しもよいので皆いつも120kmくらいでは走っている。

ある朝のこと、その直線を半分ほど過ぎて下りにかかったところで、
前方に車が混んでいるなと軽く思っていると、
よく見ると事故らしく停車しているらしい。
あわててブレーキを踏み、ブレーキ、ブレーキと何回も必死で踏みなおした。
バックミラーには後続車の影が見えているが、それを気にする余裕もない。
ぶつかってくれるなよと念じつつ最後はアスファルトの上をズズーと滑りながら、
かろうじて事故車の10m手前で止まった。
後続車も追突することなく止まってくれた。
胸はバクバクである。

車を降りて後続車の運転手に手を振る。
前を見ると、6台くらいの車が玉つき事故を起こしていた。
幸いけが人はなさそうだったが、日本人の同僚が2人巻きこまれていた。
「何があったんだ」
「あれだ」と言って反対車線を指さすので見ると、
シトロエンのドゥーシュボー(小型車)が道端の溝の中にひっくり返っており、
その前に子牛ほどもある大きなサングリエ(イノシシ)がのびていた。

後日、事故に巻き込まれた人から事情を聴くと、
反対車線の事故を見つけた最初の車が急ブレーキを踏んだために、
次々と玉つきになったらしい。
張本人の最初の車は追突されずに逃げたとのことで憤慨していた。
「あのイノシシはどうなったの」
「ドゥーシュボーの人が貰って帰ったらしいよ」

フランスで交通事故に巻き込まれたらどうしたらいいか。
フランスでは人身事故でもなければポリスが来ることはない。
車のダッシュボードに事故調書のフォーマットが入っている。
その調書は実によくできていて、それに従って当事者が記入していくと、
どちらにどのくらいの責任があるかわかる仕掛けになっているらしい。
当事者がそれにサインして、それぞれの保険会社に送付すればお終いとのことである。
後は両方の保険会社が勝手に交渉し査定してくれて保険金が支払われる。
実にシステマチックかつドライである。

日本のように、どんな小さな事故でもおまわりさんを呼んで
事故証明をもらわないと保険が下りないというのに比べれば簡単ではある。

この方式だと、日本の事故渋滞は確実にもっと減少するのにと、
渋滞に会うたびに思う。

しかし、相手が暴力団員だと困るかもしれんな。
フランスには暴力団はないのかな。
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