モン・サン・ミッシェル

.30 2010 フランスの生活 comment(4) trackback(0)
モン・サン・ミッシェルはブルターニュの赴任者にとって
決して忘れられない思い出の場所である。
なぜなら、日本からお客様が来ると必ず連れて行くため、
誰でも十回は訪れているからである。

今でこそ、世界遺産ばやりで、テレビで、これでもかというくらい
どこかのチャンネルでモン・サン・ミッシェルの映像や訪問記を流している。
一時期ホンダのCMにも使われていた。
昔は日本ではこれほど有名でなかった。
大体地元にいる我々が世界遺産などという単語を知らなかったのである。
当時はTGVも高速道路もなく、パリから遠いため、
日本のパッケージツアーにも組み込まれていなかったためである。

今ネットでのぞいてみると、モン・サン・ミッシェルに行くには
TGVでレンヌに行き、そこからバスで1時間20分となっている。
今は道路がよくなったのでこのくらいの時間で行けるが、
90年代当時はレンヌから車で3時間くらいかかったように思う。

レンヌからの旧街道は丘を登り、谷を下り、渓流のそばの曲がりくねった道をなぞり、
といった具合で、ときどき牛の大群に行く手を阻まれて、
目の前で糞をぼたぼた落とされたこともある。
ようやくポントルソンの町(注1)に出ると、
そこから麦畑の地平線の上にぽつんと小さな黒い尖がりが見えてくる。

この黒い尖がりは、カーブを曲がるたびに見えなくなり、
次に見えた時は前よりも大きくなっている。
これを繰り返すうちに、どんどんと大きくなり、期待感も増すのである。
そして、しばらく見えなくなるのであるが、

ホテル街を抜けてカーブを曲がった瞬間、
目の前にドーンと突然にモン・サン・ミッシェルがその威容を現す。
MStMichel0003.jpg

初めての人は誰でもウワーと声を上げる。声を上げなかった人はいない。
MStMichel0002.jpg

バックが海と空しかないので、余計にその大きさが強調されるのであろう。
軍艦をイメージさせる大きな要塞である。
手前は草原と干潟で、草原では羊が草を食んでいる。
この羊さんはフランス料理における最高の食材であると
「おいしんぼ」という料理漫画で紹介されているが、
いつもいるとは限らないので、運よく当たった人はずうずうしく車を止めて
写真を撮っておかねばならない。
(私は残念ながらこの羊にあたったことがない)

城門をくぐると、中は江ノ島や金毘羅さんと同じく
土産物屋が狭い参道に沿って並んでいる。
城門のすぐそばには「プーラールかあさんのオムレツ」で有名なレストランホテルがあり、
食べないまでもオムレツを作っているところは通りから覗けるので見逃してはならない。
「シャカシャカシャッシャ、シャカシャカシャ」という
リズム感のある卵のかきまわしは見ているだけで楽しい。

お食事はお勧めしない。このオムレツ、当時でなんと一皿3400円(注2)もした。
「エエー、ウソー」といって席を立ちたいほどだった。
レンヌの街中で、奥様方が集まって、たまの息抜きにする昼食会のコースが
1000円で上がるのである。
ミシュランのひとつ星のレストランの料理でも一皿1500~2000円であった。
オムレツだけで食事は済まないから、飲み物やデザートも含めるともっとかかった。
今の値段がいくらかは知らないがもっと値上がりしているはずである。

プレーンオムレツで味も薄味で感激するほどではない。

どちらも手早く作れて、おかみさんが考案した玉子料理ということであれば、

人形町の「玉ひで」の親子丼1500円のほうがよほどうまくて感激するはずだ。



(注1)佐藤賢一「双頭の鷲」の主人公のモデル「ベルトラン・デュ・デクラン」は
ポントルソンとモン・サン・ミッシェルの守備隊長に任命されている。

(注2)物価および為替は90年代前半当時のレートで表示しています。
1フラン=20円、1ユーロ=6.65フランx20円=133円
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パスツールの国

.29 2010 フランスの生活 comment(2) trackback(0)
 ブルターニュに赴任して最初に心配するのが子供の病気である。

こういうときは先輩の奥様方のアドバイスが頼りだ。
「ゼネラル医を決めたほうがいいわよ」ということで
我が家は歩いて3分の隣のアパルトマンのお医者さんにした。
フランスでは、かかりつけのゼネラル医にまず見てもらい、
手に負えなければ専門の医者に紹介状を書いてくれるシステムになっている。

いきなり大きな総合病院に行ってもダメで、かかりつけの先生は誰かと聞かれる。
確かにかかりつけの先生は、カルテを維持しているので、
過去の病歴や、アレルギーは先生に聞くのが一番早いのである。
第一そんな事を聞かれてもフランス語でまともに答えられる日本人はいない。
医療用語は難しいのだ。

日本語の医療用語だって難しい。
外国人の修習生が日本の看護師の試験に合格するなどというのは、
フランスで暮らしたことのある日本人から言わせると、
不可能としか言いようがない。

医者に関しては、不満もあるが、
圧倒的に「お世話になった。やはりパスツールの国だね」
と言って帰国する日本人が多い。

同僚の一人は、送別会のあいさつで
「これからフランスのほうに足を向けて寝られませんね」と言いながら帰任した。
彼は、体がだるい、背中が痛いといってよく会社を休んだのだが、
フランス人の医者も原因がよくわからなかったらしい。
何回目かの診察の時、その医者がひらめいたらしく、
パンツを脱げと言って、いきなり後ろをズブッとやられた。
触診の結果、腸に大きな腫瘍ができていたことが発見された。
当然すぐに専門病院に移されて、手術し、事なきを得たのである。

私も、フランス人の医者には本当に感謝している。
下の息子がカップラーメンの湯を胸にかけてやけどをして大騒ぎした時のこと、
先生が当時としては最新の絆創膏を処方してくれたことである。
家内はこの絆創膏は日本で見たことがないと言っていたし、保険が利かずに高かった。
効き目はすごく、おかげで、いまではやけどの跡はほとんど残っていない。

私自身は、会社の健康診断の時に悪乗りして、面倒を見てもらった。

ひとつは、咽喉のわきにニキビが発達して膿胞ができた時、
これを取り除くのと同時に、鼻の上のホクロがやけに大きくなってきて目立つので
これも一緒に切ってほしい、と頼んだ。いいよ、ということでいとも簡単に取ってくれた。
しばらくは絆創膏をはって出勤した。
皆気が付いていたのだろうが何も言わない。

あるとき、同僚の日本人が鼻にやはり絆創膏を貼っている。
彼は私のホクロより目立つ大きな奴を鼻につけていたのだが、
その部分に絆創膏を貼っているのだ。

彼はにやにやしながら言った。
「豊栄さんが絆創膏を貼っているのを見て、私もやりましたよ。
すっきりしましたね。目の前の景色がよくなりました」

もう一つは、ピロリ菌である。

私はフランスに赴任する少し前から胃がしくしく痛むことがあった。
ときどきは相当にさしこみ、胃潰瘍かなとも思ったが面倒なので放っておいたのである。
ある時日本の新聞(2日遅れでパリから配達)で、ピロリ菌なるものが発見され、
日本人のかなりの人が罹っているという記事であった。
それに引き続いて、しばらく特集記事が組まれており、
日本では保険が利かないが抗生物質で除去できると書いてあった。

家内はこの記事を読み、
「あなた、これに罹っているんじゃない? 私心配しているのよね。
今度の健康診断の時に先生に言ってみれば」という。

健康診断でこれを申告すると、
胃カメラを飲めということで専門医への紹介状を書いてくれた。

この専門医の先生は、かなりお年を召した先生だったが
「ジャポネか。エイケを知っているか」といきなり聞いてきた。
「エイケ?? すみません、知りません」
そんな会話の後、胃カメラの診断が始まったのだが、これが苦しいのといったらない。
ケーブルの直径が2cmくらいありそうで、
差し込み口のようなものを口に咬まされて、挿入されるのだが、何しろ苦しい。
涙は出るは、おえっと来るはで本当に死にそうだった。
当時の胃カメラはまだそのくらいの太さだったのである。

二週間後、検査結果が出て、やはりピロリ菌がいるという。
強力な抗生物質を処方してくれて、これを薬局で買って2週間にわたって飲めという。
(フランスはその当時から完全な医薬分業であった)それが終わったら、
もう一度結果をチェックするから来いという。

この薬は飲んだのであるが、結果の検診は無視することにした。
もう二度と胃カメラは飲みたくなかったからである。
先生から検査に来いという手紙が来た。
その手紙の中にHeike(平家物語)が引用してあった。
何だ、ヘイケ物語なのか、エイケ、エイケというから何のことかわからなかったのだ。
エイケとゲンジとか言ってくれるとわかったかもしれないのに。
フランス語でHを発音しないとわかってはいても、
日本語にもそれが適用されるとは考えなかったのだ。

手紙は無視して、検査には行かなかったが、
その後胃の調子は良くなり、シクシク痛むことがなくなった。

一昨年、健康診断で胃が引っかかり、15年ぶりに胃カメラを飲んだ。
さすがにこの間の技術進歩は素晴らしく、ケーブルはすごく細くなっていた。

「ピロリ菌はいませんね。ほら、胃壁の健康な部分にはしわがあるが、
この部分はつるつるしているでしょ。ここは昔ピロリ菌が住んでいたところだよね」
と先生は写真を見せながら説明してくれた。

フランスのエイケ先生ありがとう。

検査入院

.28 2010 ブログ comment(2) trackback(0)
 昨日から今日にかけて、一日ほど無駄な時間を過ごしてしまった。
結果的に無駄になったのだから、文句を言ってはいけないのだが、
いまいち納得がいかない。

昨年の3月、まだ茨城にいたとき会社の健康診断で引っかかり、大腸検査をした。
カメラでポリープを6個も摘出したが、検査の結果いずれも良性のイボで事なきを得た。
若い女医さんは「貴方はポリープのできやすい体質らしいから、
定期的に年一回検査を受けたほうがよいでしょう」
ということで一年後の検査ために紹介状を書いて渡してくれた。
私の祖母が大腸がんで昔亡くなっているので、
私もその遺伝子を持っているかもしれないというのだ。

この紹介状を持って、横浜の我が家の近くの総合病院で検査を受けることになった。
朝から入院して検査を受けろという。

「ええー?入院ですか?茨城では朝から自宅で下剤入りの水を2L飲んで、
おなかをきれいにして、午後から病院の検査で、3時には自宅に帰ったのですがね」

「ここでも同じやり方ですが、自宅ではなく全て入院してやっていただきます。
検査の後も出血などがあるといけないので一晩泊ってください」

「わかりました(不承不承)」

朝9時に入院手続き開始で、10時から下剤を飲み始めたのだが、同時に点滴をやるという。
「なんで、点滴が必要なんですか」
「朝から何も食べていないのですから、体力をつけるためです」
「大丈夫ですよ。一日くらい絶食しても人間は死にはしませんよ」
「決まりですから」
「トイレはどうするんですか」
「これをひっぱっていってしてください。呼んでくださればついてゆきますよ」
「いや結構です。一人で行きますから」
というわけで、点滴台をからからと引っ張ってトイレに何回も通った。
本当に病人になったような気がしてきました。

午前中に、下剤は飲み終えて体制は整ったのだが、いくら待ってもお迎えが来ない。
2時に看護婦さんが点滴をチェックに来たので、いつになるのかと聞くと、
混んでいますからしばらくお待ちくださいという。
結局、検査が始まったのは3時過ぎだった。

検査したものの、ポリープが見つからない。
「不思議ですね、きれいなものですよ。」
自分で自分のおなかの中が見えるのは不思議な気もするが、医学の進歩はすごい。
というより、このカメラを作っている日本のメーカーさんがすごい。

何も見つからなかったので、30分ほどで検査は終わった。

帰りは、歩いて帰ると言ったのだが、ふらつくと危ないということで、
ご丁寧にストレッチャーで運んでくれた。

ベッドに帰ったら、また点滴のボトルを取り替えるという。
「何も見つからなかったのだから、もう点滴は必要ないでしょ」
「医者から何も指示をもらっていませんので、このまま継続します」
というわけで、夕食は抜きで、朝まで点滴をさせられた。

することがないので、先日買った本を一冊完読できた。

今朝。先生から結果の説明があるまで朝食は食べられませんという。

「大丈夫ですね。一年前の検査で全部ポリープは取れています。
この調子ですと2年間は検査なしでも大丈夫でしょう」(医者)
「ありがとうございます」(私)

ということで、ようやく点滴を抜いてもらって、冷えた朝食を食べたのが9時。

「もう、帰ってもいいでしょうか」
「事務の人が請求書を持ってきますので、入院予納金を精算して帰ってください」

事務の人が請求書を持ってきたのが、11時。
総額68、970円、私の個人負担額は22、895円。

家に帰りついて飲んだインスタントコーヒーのうまかったこと。

このブログはフランスの医者のことを書こうとして、枕話にしようと思ったのだが、
結局不満がたまって長くなってしまった。

フランスの医者の話はまた次回。

横浜の春 その2

.26 2010 あざみ野近辺 comment(4) trackback(0)
イチジクを見つけたので、3個で298円は高いと思いましたが、初物のお試しに買いました。
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三河産で生産者農家の個人名入りです。日本はすごいですね。ここまでやりますかね。
結果はハズレ。雨が多かったせいか、水っぽいです。
トルコで食べた青いイチジクが懐かしい。
フランス料理に、イチジクはよく合いますね。

今日は、久々のよい天気で、気温22度。
自宅の周りを散歩して、花の咲き具合を見てきました。
八重桜の並木はまだ健在。
001ヤエザクラS
ハナミズキがもう満開になってきました。
002ハナミズキ白S
003ハナミズき白ラーメンS
赤いハナミズキも満開。
004ハナミズき赤S
この花の名前がいまだにわからないが、愛らしい。
005無名花S
もうじきバラの季節か?
006ノイバラS
こでまりもよい。
007コデマリS
紫蘭はいつ咲くのかシラン。
008シランS
モッコウバラは黄色が目立ちますね。アーチにすると最高。
015モッコウバラS
いつの間にか新しい店が。店に入る時は「ククー」と言って入るのでしょうか。
016クークーS
ランチコース1680円、ディナーコース3150円、ククーコース5250円、まあこんなもんですかね。
017クークーメニュS
芝桜
023芝桜S
気の早い方がいらっしゃいますね。でも舘林でももうコイのぼりを出したというニュースがありましたね。
031こいのぼりS
ハナダイコンもこれはこれでかわいらしいですな。
032ハナダイコンS
ランタナ。スペインですかね。
033ランタナS
もう藤が。
046藤S
誰がこんなところに、フリージアを植えたのでしょうか。
048フリージアS
ここのそば屋はまあまあ。
049マツバギクそばS
このお宅は頑張っていますね。
043庭1S
ここのお宅も。
045庭2S

昼休みに一杯

.26 2010 フランスの生活 comment(2) trackback(0)
この一杯が我慢できますか。

一杯のワインS

 ある時、名古屋の某有名自動車会社の親会社の会長さんが
ブルターニュのわが社を見学に来られるという名誉に浴したことがある。
この会社はレンヌの南100kmのナントのそばで
フランス企業とフォークリフトを生産する合弁企業を立ち上げたばかりだという。
この合弁企業を会長さんが視察においでになり、
参考のために先行企業である当社の見学に来られたのである。
わが社は、その当時、フランスに進出して成功している製造業ということで、
日本では成功事例として少しは名が売れていたらしいのだ。

工場の中を一通り見学していただいた後、
社長室でわが社のプレゼンと質問の場を設けた。
今のようにパソコンとプロジェクターを繋いだプレゼンではなく、
透明な紙にグラフや絵を印刷したものを映す
OHP(オーバーヘッドプロジェクター)によるプレゼンである。

わが社のプレゼンでは、ほとんど質問はなく、ふんふんであった。
プレゼンが終わった後の最初の質問。

「先ほど社員食堂を見学させてもらいましたが、
広くて、きれいで、眺めも良くて、素晴らしいと思いました」(某会長)

「ありがとうございます」(当社社長)

「ところで、御社では、昼食の時に、社員がワインを飲んでいますか?」(某会長)

「いいえ、当社では、社内では基本的にアルコールは禁止しています。
社内でワインが飲めるのは、9月の創立記念パーティと
12月のクリスマスパーティを食堂でやる時だけですね。
昼食時にワインなんかは出していませんが?」(当社社長)

「なんで、ワインは出していないのですか?」(某会長)

「いやー、?????。出しておりませんが???」(当社社長)

「ああ、そう。いや、ナントのわが社の工場では、
昼食の時に従業員がワインを飲んでいるのでね。
日本人の感覚からすると理解できないので、やめさせろ、と言ったのだが、
前からの習慣で、既得権のため組合を説得できませんと、
この人たちが言うのでね」(某社会長)と言って、お付きの人たちを見まわした。

「あー、そうですか。いやー、わが社は創立当初から、
作業効率と製品品質に問題が出るからということで、
社内のアルコールは禁止しております。
それで、フランス人も納得しておりまして、
そのことがとくに問題になったことはありませんが」(当社社長)

「なんだ、やりゃあできるんじゃないのか」と、
某会長は私たちにではなく、お付きの人々に聞こえるように言った。


これは、まさに日仏のカルチャーの衝突と言ってよい問題である。

パリにある同じ東京の親会社をもつ兄弟の販売会社に行った時、
打ち合わせの後日本人駐在員と一緒に昼食をとると、グラスワインを皆注文するのである。
私も嫌いではないし、後はTGVでレンヌに帰るだけだからと一杯注文する。
「いいのかね、昼間から飲んで?」
「いやー、いいんですよ。フランス人が飲んでいるのに、日本人が我慢することはないでしょう」
パリの販売会社は、もともとは現地のディーラーを買収して現法子会社にしたものであるため、
組合も強く、簡単に風習(既得権)は変えられないのだという。

そうか、わが社はブルターニュの原っぱの中に工場を作ったので束縛されるものはなく、
初めから日本流でやれたけれども、合弁や現地企業を買収した場合は
元からいるフランス人従業員や組合のいうことを聞かざるを得ないのか。


名古屋の某有名企業の会長さんの見学が終わったあと、
一同が会社の玄関のロータリーに見送りに出た。
一同礼をして、会長の乗った車が出発したとき、

私の前にいたお付きの人の肩が、フーと下がった。

お疲れさまでした。
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