家内が義母の見舞いに急遽帰省したので、
当面私が料理することになりました。
一番手軽なのが、これ。
これからしばらくは毎晩鍋料理が続きます。
たしか北方謙三の小説にありました。
両親を事故で亡くした少年が田舎の独り暮らしの祖父に引き取られたのですが、
おじいちゃんができる料理が鍋料理しかなかったのです。
毎日毎晩鍋料理。肉だろうが魚だろうがとにかくぶつ切りにして
野菜と一緒に鍋にぶち込んでぐつぐつ煮る。
これで栄養失調にもならず少年は成長していくのです。
"Kamonabe" est une fondue japonaise composée d'un bouillon clair,
de tofu, de salade, de viandes (canard ou poulet) .
C'est tres simple lors de l'absence de ma femme.
鍋は野菜がたくさん食べれて、意外に栄養バランスはよい料理だと思うのですが
どうでしょうか。
私は今時の若者のように、馬のごとく生野菜のサラダをむしゃむしゃ食べる
という芸当はできないので、鍋のほうがむしろたくさんの野菜が摂れます。
簡単とは言っても、母にカリウムたっぷりの野菜を食べさせるわけにはいかないので、
家内の指示通り野菜類(白菜、ネギ、エリンギ、春菊)は一回湯通ししてあります。
(湯通しすると写真のように体積が減ります)
母にはいつも150gのご飯を出します。
おかずが気にいらないと
「御飯はこんなに食べれないから減らして」
と言われてしまうのですが、
今日は何も言わずにもりもりと食べてくれました。
(やった!)
残り汁は大事に取っておいて、
明日の昼には冷凍保存の御飯をぶち込んで、玉子を一つ落とせば
おいしいおじやの出来上がりです。
らくちん。
スポンサーサイト
あざみ野東公園のオカメ桜や江田駅の桜のつぼみの具合をチェックしに
散歩に出かけました。
この辺りは久しぶりの散歩なので新しい発見がありました。
まずはあざみ野南の慶応義塾横浜初等部。
なんと
校庭に芝生 が生えていました。
一年前に「教育のブランド化」 という記事で
この学校の建築途中の写真を載せましたが、
その時はまだ土の校庭でした。
開校してまだ一年経っていないので、生徒はまだ一学年だけです。
伸び伸びと遊んでいますね。隣の芝生は青く見えます。
芝生はいいですね、転んでもけがはしないし、土埃も上がりません。
公立学校は、校庭を芝生にするなどという贅沢は許されません。
もう一つ気がついたのが、ユニクロのそばの交差点に
セキュリティ会社のガードマンが立っていたことです。
近くで道路工事もやっていないので、
何のためにここにいるのかなと不思議に思いました。
すると学校の方から下校の子供達が吐き出されてきました。
(そうか、この子たちを見張っているのか)
校門の前でも、係のお姉さんが立っていました。
慶應はここまで金を使っているのか。
さらに歩いていると、あざみ野第二小学校の子供達に出会いましたが、
公立ですからね、当然誰も道路で見張ってはいません。
コメダコーヒー店のそばの赤田西公園で、こんなものを発見しました。
赤田2号墳という円墳のコピーです。
みすずが丘の
フレンチレストラン「くうくう」 が閉店して、
イタリア料理店「あざみ野 TRATTORIA Za-Za」という店に変身していました。
駐車場の看板はまだ「くうくう」のものを転用しています。
剣山の夫婦でやっていたフレンチもだいぶ前に店を閉めたし、
あざみ野の周りのフレンチはみんなつぶれてしまい
イタリアンばかりになりました。
やはりフレンチよりイタリアンのほうが店に入りやすいのでしょうね。
いずれここもチェックしておかねばなりません。
みすずが丘の生産緑地が建売住宅用地に転用されて
売りに出されていましたが、
もう半分以上に家が建っていました。
反対側から見るとこうですがこれもすぐに埋まってしまうでしょう。
アセビがもう満開です。
ミモザがもう咲き始めていました。
いよいよ春ですかね。
曽我梅林も三回目なので
だいたいの名所旧跡やハイキングポイントは歩いたのですが
まだ行ってないところがあります。
今回はJR下曽我駅から宗我神社のコースをチェックしてみました。
尾崎一雄文学碑はあったのですが近くにあるはずの旧宅跡地と墓所は
分かりませんでした。
宗我神社に近づくと素晴らしい光景が待っていました。
(おおー)
「懐かしいわね」
立派なケヤキの大木の上に青々と茂る宿り木です。
宿り木には、
フランス時代の懐かしい思い出 があるのです。
一昨年、城前寺でやはり宿り木 を発見して感激したのですが、
ここにはもっと立派なものがありましたね。
宗我神社では鏡が前面に据えてありました。
普通はご神体として奥に隠れているものなんですがね。
法輪寺では門前の桜が三分咲きになっていました。
ピンクが強いので寒桜系統なのでしょうが、河津桜ではないようです。
この地区には河津桜の木がたくさんありましたが、まだどれもつぼみでしたから。
しかも幹が古びていて、苔がびっしり生えているのです。
(河津桜は最近植えた木が多いので、大抵は若木なんですよね)
メジロではない茶色の鳥が花をついばんでいました。
次に五郎の沓石(ふみいし)を探しました。
日本語の「沓石」は意味不明ですが、
英語の Goro's Foot Stone の意味はよくわかります。
ところがいくら行っても石がありません。
通りがかかった人に聞いても分かりません。
仕方なく道を引き返したら、先ほど尋ねた人がここにあったよと教えてくれました。
(最初の地図の赤いX印の地点)
上の標識に100mと書いてあれば行きすぎて見逃さずに済んだのですがね。
(もう少しの親切が欲しかった)
我々は石だと思っているので、下の方ばかり見ていたのですが、
なんと石垣の目の高さくらいのところに鎮座していました。
そばの説明板を読むと、
曾我五郎(仇討の弟の方)が足を患い、治った時にこの石をふんづけたところ
石に足形が付いてしまったというものです。
その伝説ゆえ、祈願すると足の病気に効くと評判になり、
お礼の草履や草鞋のお供えが絶えることがなかったとか。
ルルドの泉 の小型版ですね。
福寿草をたくさん植えておられる、花好きのかたの庭がありました。
ここの方は土地に余裕があるというか、生活に余裕のある方が多いのでしょう。
小さな小さなゴルフ練習場が梅畑と住宅地の中にありました。
グリーンとバンカーだけのチップショットの練習場です。
同好の士が集まってお金を出し合ってネットを張ったとしか思えません。
でもこれ百万や二百万ではできませんよ。
春らしいほっこりしたいい写真が撮れました。
今年も曽我梅林(神奈川県小田原市)にやって来たのです。
カーナビの履歴を見ると
2013年は3月7日 2012年は3月13日 に来ています。
今年は開花が早いというよりも、平年並みに戻ったというべきでしょう。
小田原アイス牧場(0465-42-6632)の駐車場に着くや否や、
すぐ裏の穂坂邸の枝垂れ梅を見に行きました。
Les pruniers (Cliquez pour agrandir SVP) (写真はクリックで拡大)
まだ満開とはいきませんが、十分です。立派です。
何回見てもほれぼれするような木ですね。
これで曽我梅林に来た一つの目的を果たしました。
曽我梅林はこれで3回目ですが、昨年も一昨年も
梅の咲くのが遅くて、来たのはいつも梅まつりが終わってからでした。
今年は3月5日まで梅まつりが延長されました。
祭の期間中は梅林の中に入ってお弁当を楽しむことができます。
その代わり、駐車料金も500円とられました。
祭会場では、地元の小学生の梅の研究発表が行われていました。
これは「梅シロップの作り方」だったように思います。
この梅園には、もちろん紅梅も枝垂れ梅もありますが、
大半の木は梅の実を栽培するための白梅です。
数万本の梅の木がありますが、ここは本来公園ではなく、
農家の梅畑なのです。
幸い今日は、暖かく、観梅には最高の日和です。
よい梅の香りがする中をゆったりと散歩しました。
(今日は1万6千歩)
別所梅林を一回りした後、見晴らしの良い丘に登って、
海老名SAで買ってきた、弁当をいただくことにしました。
これは私が選んだ駅弁の大船軒「彩り稲荷寿し」。
こちらは家内が選んだ東京羽田「穴守おこわいなり」。
美味しいのですが、お稲荷の皮の味が濃すぎて、
どの稲荷も同じ味になってしまったのが残念でしたね。
そしてデザートは「東京ばな奈」の新製品キャラメル味。
弁当を食べながら見降ろす景色は梅の花でけぶっています。
春霞とはこのことを言うのでしょう。
今日は空も霞んでいて、富士山は全く見えませんでした。
運が良ければ、この梅まつりのポスターのような
梅越しの富士が撮れるのかもしれませんが、
恐らく毎日朝早くに来なければこういうチャンスもないでしょう。
こういう写真が撮れるまで、毎年辛抱強く通うしかありませんね。
今週末が一番の見ごろだと思いますので
まだ今年曽我梅林に来ておられない方は、お早めにどうぞ。
(電車の方は、JR御殿場線下曽我駅 徒歩15分)
これは、母の透析日誌です。
朝と夜に体重・血圧・体温を測って記録しています。
一病息災などと言いますが、母は腎不全という病気を持っているために、
毎月レントゲンを撮り、血液検査を受けて、
結果的に十全の健康管理をされていることになります。
日誌の下の備考欄は、病院側と家族の連絡蘭になっています。
月に一回、看護婦さんが足首のチェックをしてくれます。
足にむくみや傷や荒れがないかどうかを見てくれるのです。
糖尿病患者の足首切断はよく聞きますが、
透析患者の1割強は末梢動脈疾患にかかりやすいのだそうです。
指摘されてしまいました。
(あちゃー!)
母の足の爪が伸びていました。
ヤスリで整えるようにと書いてあります。
電動ヤスリを買いましたが、非常にまだるっこしいので
結局爪切りで切っています。
それに母は深爪なのです。
ですから、危険防止のため母の爪切りは私の仕事です。
かりに傷つけて「イタイ、イタイ」となっても
実の息子なら許してもらえるからです。
母が深爪ということは私も深爪です。
子供の時の習慣が大人になっても続くからです。
小学校時代には、ハンカチはもっているか、爪は切っているか
毎月学級委員に検査された記憶があります。
その時に爪に少しでも白い部分があると、「切っていない」と
×をつけられました。
ですから私は白い部分がないように爪を切っていました。
結婚して、家内に深爪だと指摘されるまで、
私は自分が深爪だとは思っていなかったのです。
大学時代の友人で私よりもっと深爪をしているやつがいました。
40年ぶりにクラス会で会ったら、やはり相変わらず深爪でした。
そいつも奥さんに深爪だと言われているのかどうかは知りませんが
昔の習慣は治らないのですね。