蓬莱橋を後にしましたが、まだ一日は長いのです。
母は明日ショートステイ先に迎えに行けばよいので、
今日は帰宅する時間にリミットはありません。
そこで、海老名IC から圏央道に入って、
巾着田(きんちゃくだ)(埼玉県日高市)に着きました。
Le tapis rouge de 5 millions de
lycoris radiata .
日高市のガイドマップで五百万本の曼殊沙華と言っているくらいですから、
(写真はすべてクリックで拡大します)
とにかく、赤、赤、赤のレッドカーペットです。
赤い木の実などは背景に吸収されて消されてしまいます。
むしろ白いフジバカマがよく目立っていました。
木の枝に植えられた曼珠沙華が人気です。
反対側に回ってみると、梅ノ木の枝でした。
この熟年カップル。実に仲が良くてしっかり手を握っていらっしゃいます。
うちなんか、とうにそういう時期は過ぎたんですがねー。
巾着田のいいところは周囲が水で囲まれていること。
水は人の心を和ませます。
釣りももちろんできます。
あいあい橋にやってきました。
橋に登る道のそばには白い花が多く、ここでは必ず一枚は撮ります。
橋の上から見える景色もまた格別です。
巾着田には、母を引き取る前ですから、およそ十年前に来ました。
その当時はまだ公園にはなっていなかったように思います。
今や大量の客を受け入れる駐車場も整備され、
こういうお祭り広場もできました。
ドレミファ橋は四年前に架設されたようです。
そば畑も三年前から。
十年前に来たときは、到着早々デジカメの電池が切れて、
悔しい思いをしたのです。
ようやく記録に残る写真が取れて、胸のつかえがおりました。
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9月23日の朝、島根を出発しました。
走り続ければその日のうちに横浜につくのですが、
ちょうどお彼岸の中日で、こういう日の夕方は
東名高速の上りはだいたい厚木インターから大渋滞に突入するのです。
それを避けるために、静岡県島田市のビジネスホテルに一泊しました。
目的は、この蓬莱橋を渡ることでした。
(今日の写真はみなクリックで拡大します)
Hōrai Bridge = Le pont en bois, 897m
実はこの橋の存在は全く知らなかったのですが、
「超高速 参勤交代」という映画 の中でこの橋が出てきたのです。
「あの橋はどこだ」ということになって、
チャンスがあれば渡ってみたいと思ったのです。
大井川にかかるこの橋は全長897m、世界一長い木造歩道橋として
ギネス認定されています。
渡り賃は大人100円、子ども10円です。
橋のど真ん中。
橋の反対側に着きました。
厄なし(897.4)、長生き橋(長い木橋)。いいですね、こういうの。
朝早かったせいか、我々夫婦のほかは人っ子一人いず、
「人影のない写真は面白くないから、お前モデルで写真に入れ」
「いやだ」
といっていたら、おりよくジョギングのおじさんがやってきました。
おじさんは、橋を渡ったと思ったら、あっという間に引き返してゆきました。
今年の春、我が家の竹林に竹の子を採りに行った
島根の義妹が電話でこう言っておりました。
「去年までは竹がびっしり生えていて、中に入るのも大変だったけど、
今年は誰かが、えーげにしとんさったけー、楽だったよ」
誰かが竹林の中を伐採して道をつけて下草も刈っていたというのです。
そこで今回島根に帰省したついでに、家内と一緒に、竹林を見に行ってみました。
入口に「郡庁古井戸跡」という看板が立っていました。
ここが竹林の入り口。
実は左の小屋がある場所は、私が小学校3年生まで住んでいた家があったのです。
もちろん当時は竹林なんかありませんでした。
今は取り壊して、小さな道具置き場の小屋が残っているだけです。
昔の道の跡がきれいに伐採されて空間ができていました。
そして石で囲まれた小さな水たまりがありました。
これが万葉時代の郡庁の井戸の跡だというのです。
いやはや、驚いたのなんの。
確かにここは私が子どものときは深さ1メートルくらいの透明な池で、
池の底から柿田川のように、湧水が自噴していました。
池の左側は田んぼで右は道が通っていました。
そしてこの池のそばには我が家の井戸があって、ポンプで家まで水を引いていました。
(実はその井戸のコンクリート部分は、上の写真の竹の簀子で囲んであるところです)
そうか、私は柿本人麻呂が飲んだのと同じ水を飲んで育ったのか。
感慨ひとしおです。
すぐ近くに今は誰も住んでいない母の実家があります。
草ぼうぼうの庭先の昔の道の跡がやはりきれいに草を刈られて、
「万葉古道跡(多鳩神社へ)」という立札がここにも立っていました。
そして、君寺のそばに新しい駐車場ができていて、この地図が立っています。
(この写真はクリックで拡大)
地図の右端が「伊甘(いかん)」(浜田市)という地で、
柿本人麻呂が国司として赴任してきた石見(いわみ)の国府の跡があります。
家内の実家があるところです。
「そうか、俺とお前は万葉の昔にすでにこの道で縁があったんだよ、
諦めなさい、しょせんこういう運命だったんだから」
ははーん、わかりました、理解しました。
江津(ごうつ)市は、私の生まれ故郷の恵良(えら)の谷を
万葉古道跡として観光地として売り出そうとしているようです。
(この写真はクリックで拡大)
この地図のおかげで、新たな発見がありました。
恵良の谷を流れている川の名前は「平石川」でした。
そして宮の谷のほうから流れてきた小さな支流の名前は「平田川」。
神村川、宮の谷川、飯田川など、ほかの部落の名前と川の名前はみな同じだったので、
私はなんとなく恵良部落の川は恵良川だと勝手に思い込んでいました。
横浜に帰って母にこの川の名前を聞いたところ、
「川に名前なんかついていなかったよ」と母も知らなかったのです。
(この写真はクリックで拡大)
そしてまた「じぇ、じぇ、じぇ(三陸弁)、てっー(甲州弁)」と驚きの発見。
なんと「万葉石見物語」という演歌のCDが発売されていました。
作詞 : 中田房則。私の中学校のブラスバンド部の先輩でサックスを吹いていた人です。
作詞、唄 : 中田恵良。どうも房則さんの奥様のようですね。
You-tubeで探したら、ありましたよ。唄が聞きたい方はこちらで聞いてください。
→→
http://youtu.be/YcS0d_opmqU 恵良の谷の奥の親戚のお宅の近くにこんな看板。
また新たな人麻呂終焉伝承地ができたのでしょうか。
恵良の谷も今やこんな有様です。
正面の竹林の中に郡庁古井戸の跡があります。
今から50年前は、竹林も杉の木も生えていませんでした。
谷は我が家、母の実家そして父の実家のきれいな棚田でした。
今はどの家も廃屋で、耕す人のいない棚田は葛に覆われてしまいました。
万葉の里もいまや高速道路が通り、彼岸花が咲き
(万葉時代にはまだ彼岸花は日本に無かった)、
山の上には、風力発電のプロペラが回っています。
変わらないのは萩の花だけですかね。
一周2.1kmの散歩でしたが、新しい発見がたくさんありました。
今度また帰ってきたときに、万葉古道を歩いてみたいものです。
今朝、縁起のいい数字がアクセスカウンターに並びました。
Numero de visiteurs
ブログをはじめて4年半、とうとうこの数字に達しました。
ブログというのは自分の日記なのですが、
公開することによって人とのつながりができます。
このアクセスカウンターの数字を励みに何とか続けてこられました。
皆さんの応援のおかげです。
そろそろ数字が並ぶはずだと思い、今朝7時半にカウンターを見たところ、
あと一人になっていました。
「アンと花子」の最終回も見なければならないので気が気ではないのです。
家内が、じゃあ私がアクセスするわと言って
彼女のパソコンからアクセスしてくれたのですが
数字は変わりません。
(後で、長男夫婦に聞いたところ、家内と私は同一回線を使っているので
アクセスにはカウントされないのだそうです)
あきらめて、「アンと花子」を見終わった後、パソコンを開いたら
しばらくして、上の 77777 に変わりました。
9月27日(土) 8時15分から20分の間にアクセスしてくださった方に
幸運が訪れますように。
これが、ラスベガスだったら大変ですよ。
島根への帰省は一昨年の12月以来だったので、
幼馴染みが集まって飲み会を開いてくれました。
La soiree des anciens eleves de l'ecole primaire au pays natal
私のブログの読者が何人かいて
「顔なんか隠さんでもええよ」
と言ってくれたので、マスキングせずに載せます。
私が「こんな田舎じゃあ、おれおれ詐欺なんか無かろうが」と聞くと、
「うんにゃ、馬鹿にしちゃいけんけ。こがな田舎でもあるよ。
最近も浜田(市)の誰かが2千万やられたげな」
さすがに、田舎のことなので、現金手渡し型は成立せず、
ATMでの振り込み型なのだそうです。
飲み会の翌日、掲示板でこんなポスターを発見しました。
なるほど、江津(ごうつ)市の警察もわざわざこんなポスターを作っているのですね。
また、だれかがNHKラジオの「すっぴん」が好きで、
藤井彩子アナウンサーがいいといって盛り上がりました。
ですが、島根県は朝鮮に邪魔されてラジオの入りがすごく悪いのです。
実家にはデジタルテレビがないので今回もラジオを持って帰ったのですが
ほとんど役に立ちませんでした。
新聞に載っている松江、浜田、石見(いわみ)のいずれの周波数に合わせても
聞こえてくるのは「・・・ハムニダ」という朝鮮語ばかりです。
日本文化の流入を恐れて、日本の放送が聞こえないように
朝鮮では北も南も日本の放送周波数に合わせて
出力を大きくして朝鮮語の放送を流しているのです。
島根県だけでなく、日本海側はおしなべてラジオの入りは悪いのですよ。
でも世の中は進歩しています。
今はインターネットでラジオが聞ける時代になったのですね。
こちらに帰ってから調べたら、無料で聞けるラジオのサイトがありました。
http://dir.yahoo.co.jp/News/Internet_Broadcasts/Radio/ 早速、パソコンをマルチ画面にしてラジオを聞いてみたら聞けます。
画面の右側にインターネット・ラジオを入れて、
左側で囲碁名人戦の実況中継を「幽玄の間」で見ることができました。
島根のみんな、スマホがあればラジオも聞けるよ。