母の三回忌の法事のあとすぐ東京に帰る妹のため、
法事の日の早朝、墓参りをし、
石見の海 を見せ、
そして氏神である
多鳩神社へ参拝しました。
ここの社務所にはJリーグのフラッグが寄贈されています。
この神社でも八咫烏(やたがらす)をお祭りしているため
サムライブルーの必勝祈願に
わざわざだれかが来られたのでしょうか。

八咫烏の咫(あた)は長さの単位で、
親指と中指を広げた長さ(約18cm)のことで、
八咫は144cmとなりますが、
ここでいう八咫は単に「大きい」という意味。
八咫烏は、
熊野本宮大社 の祭神である
スサノオノミコトの使い番であるとされ、
神武東征のおり、天皇を熊野から
大和の橿原まで案内したとされており、
導きの神として信仰されています。
(大和に入るときの戦いでは
今度は金色の鳶(とび)が現れて
戦を勝利に導いています)
日本サッカー協会は1931年(昭和6年)には
協会のマークとして三本足の鳥を図案化しています。
多鳩神社の祭神は事代主命(大国主命の息子)
ですが、ここにも八咫烏の伝説が残るとされ、
本殿の軒下には他の神社には見られない
八咫烏を招くためといわれる、
ブランコのような「神饌代」があります。

上の写真の本殿の部分をカットして拡大すると
ブランコのような「神饌代」が見えますね。

神社の奥のせせらぎの横にこんな碑がたっています。
さきに典子様と結婚された千家国麿氏のお祖父さんに当たる
出雲大社の83代宮司の揮毫になるものです。

その碑の台座に寄付をした父の名前があるのを
妹に記憶させました。

このあと隣の大宝坊の裏庭の
モリアオガエルの巣を見せて、
法事の前の時間を有効に使いました。
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「ええ~?
夕日まで日本遺産になっちゃうの?」
祝日本遺産認定
日が沈む聖地出雲
~神が創り出した地の夕日を巡る~

足立美術館では閉館の5時まで粘って
道の駅「キララ多伎」に着いたのが午後7時。
ここでこんなポスターを発見したのです。
夕日が沈むまでにはまだ少し間がありそうでした。
スマホで島根の日没の時間を調べると7時25分。
「もうちょっと走って、沈むころにどこかに停めようよ」
夕日が海に近づいてきたので
9号線から離れて海岸に停車しました。

こんな時間にサーフィンを楽しむ人がいます。

東京に住んでいる妹にとっては
海に沈む夕日は久しぶりなのです。

確かにこれなら日本遺産に認定しても
いいかもしれません。

妹にはいい思い出になったでしょう。

日が沈みました。

「ありゃー、さっきの夕日は日本遺産じゃないぞ」
波根駅(島根県大田市)の海岸ですから
ここはすでに石見地方に入っていたのです。
出雲ではありません。

日本遺産に認定された「日が沈む聖地出雲」の地図が
ネットにありました。
日御碕や稲佐の浜から見る夕日でないと
日本遺産にならないようですね。
妹が行ったことがないという
大根島に連れてゆきました。
由志園での昼食を予約しておいたのです。

この庭を眺めながらの昼食です。

料理はこんな感じの懐石料理です。

ちょうど花菖蒲の季節でした。

珍しい鯉を観ました。

牡丹の季節はとっくに過ぎているのですが、
エアコンのきいた部屋で牡丹が咲いていました。

アジサイとボタンというのはレアな取り合わせではないでしょうか。

アジサイを絵にしています。

ゆっくりとお昼をとった後、足立美術館に向かいます。
法事に参加するため東京の妹が
米子鬼太郎空港経由で帰って来ました。
近くまで来たのだからついでにと境港の
水木しげる記念館に連れてゆきました。
近くの駐車場に車を停めたら料金は
この店でお払い下さいという指示がありました。

歩道には「ゲゲゲの鬼太郎」にでてくる
妖怪たちの塑像が並んでいます。
これはねずみ男。

マンホールの蓋も妖怪です。

もしここを出身地として「水木しげるロード」として売り出さなかったら
おそらく田舎の港町のシャッターロードになっていたでしょうね。
ゲゲゲの鬼太郎様様でしょう。

妖怪がまぐちを売っているお店。

ぬりかべ商店。

妖怪お休み処 砂かけ屋。

水木しげる記念館に着きました。

原画を展示しているところは撮影禁止ですが
ここはOK.

水木しげるは60歳で現役を引退して
世界中を旅していますがものすごい回数ですね。
一番多いのが戦地のパプアニューギニア15回、その次が
中国7回、ハワイ7回、アメリカ7回、フランス7回、イタリア6回
と精力的に世界中を旅していますね。

記念館を出て帰ろうとすると、
どこかで見たような女の子が座っています。

猫娘じゃないですか。

次の目的地の大根島に渡るためには
「べた踏み坂」(アクセルの)と呼ばれる
橋を渡らなければなりません。

妹の願いはまだ見ていない足立美術館に行くことなので
米子空港に着陸したのです。