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ブザンソンの憂鬱

.04 2010 フランスの生活 comment(0) trackback(0)
ブザンソン。

ブルターニュに赴任した者でこの街の名前を忘れる人はいない。

フランスに着くや否や、この街の語学学校に一カ月放り込まれるからである。

語学研修というより入植訓練と呼んだほうがよい。
バーやカフェに入ってビールやコーヒーが注文でき、
レストランで一人で食事ができるようになれれば、
ほぼ目的は達成できたと考えてよい。
銀行にお勤めの方は2年間の語学研修があるらしいが、
メーカーではそんな贅沢なことはさせてくれるはずもなく、
一ヶ月の入植訓練であとは働けということである。

ブザンソン(Besancon)はブルターニュから700km離れたフランス東部、
ジュラ山脈をはさんでスイスに接した
フランシュコンテ地方ドゥー県(県番号25)の県庁所在地である。
Besancon-S.jpg

ここに私は1988年11月27日から12月24日、一人で赴いた。
 
しゃべれないという不安と憂鬱をさらに増幅したのがブザンソンの天気である。
冬になるとヨーロッパではどこでもしとしとと雨が降るが、
西の大西洋から来た雨雲はさえぎられることなくブザンソンまでやってきて、
ジュラ山脈にぶつかってここで滞留するのである。
11月から12月の1ヶ月、一回の日差しを見ることなく、
雪まで2回も降ったのである。
おまけに朝は9時半にしか明るくならないし、夕方は4時前には暗くなる。

宿舎は郊外のプラノワーズという新興団地にある
悪名高いフォーラムという貸しアパートで、
一ヶ月の家賃が1万2千円という安さのためか、
アフリカからの移民と思しき色の黒い人が多く住んでいた。

共同シャワーは温かいお湯が出るまで3分かかるので
始めは服を着たままボタンを押さなければならないし、
3分するとお湯は自動的に止まるのでまたボタンを押しなおさなければならない。

この省エネ思想は徹底していて、廊下の電気も2分くらいで消えてしまう。

テレビを見ようとして共同の娯楽室に行くと、
部屋が真っ暗で誰もいないのかと思ったら、数人がテレビの前にいた。
確かに電気をつけなくてもテレビは見られるのではあるが。

唯一の楽しみが学校に行くことである。
入学時にテストがあって、デビュタント(初心者)のクラスから上級クラスまで
レベルに応じて振り分けられ、
1週間もしないうちに上のクラスに上げられる人もいれば、
下のクラスに落とされてくる人もいる。

私のクラスは15人ほどで国際色豊かであった。
ドイツ人男女2人、イタリアのおばあちゃん4人、アラブの男2人、
途中から入ったブラジル女1人、台湾の女2人、香港の女1人、韓国の女1人、
日本の女1人、男(私)1人という構成であった。
皆、二十歳前後の若い人々で、久々に若やいだ雰囲気がとても心地よかった。
Besancon Classmates
例外は私とイタリア人の女性4人であった。
彼女らはみな60歳前後の尼さんで黒い服を着、白いスカーフをしていた。
この学校を出たらアフリカのフランス語圏の国に
布教活動のお手伝いに行くのだという。
やさしく澄んだ眼をしていて、にこやかで落ち着いていた。
これからアフリカの僻地に行くのだという不安は微塵も持っていないようで、
神様がおそばで守ってくださるというのが口癖だった。
宗教がかくもすがすがしく強い人を作るのかと感じ入らざるを得なかった。
日本では宗教は冠婚葬祭の習俗だとしか思っていなかったからである。


アラブ人と見えた2人の青年はベイルートの人で、
引き締まった体、浅黒い肌、誇り高き鷲鼻をもち、彼らに迷彩服を着せたら、
ちょっと戦う気はしないなと感じさせる雰囲気を持っていた。
祖国が常に戦闘状態にあるからであろう。

東洋の女性人たちはみな若く茶目っ気がありクラスを明るくしてくれた。

こうした雰囲気の中で必死にフランス語と格闘した。
久しぶりに仕事を離れて学生時代に戻ったような気分で、
いや学生時代よりももっと真剣に勉強したような気がする。

天気が常に悪かったので遠出をする気もしなかったが、
休日には息抜きにシタデル(砦)に登った。
ブザンソンの町はドゥー川の湾曲部にあり周りを川に囲まれている。
半島といってもよいくらいの地勢で、半島の付け根が高い丘になっており、
この丘の上にシタデルがある。
町の周囲は川岸に沿って城壁がぐるっと取り囲んでおり、
中世では理想的な守りやすい城塞都市であったのであろう。
シタデルの城壁の回廊からの眺めは素晴らしく、町が一望のもとに見渡せた。
Besancon_S.jpg
出典:グーグル地図航空写真


もうひとつ救われたのは、
川岸のそばに立つ石造りの塔の中にあるレストランで食事をしたことである。
石室の中でろうそくだけを照明にして、
襟が耳の上まであるこの地方の民族衣装を着た
美人姉妹がウェートレスとして給仕をしてくれるのである。
初めてのフランス料理でもあり大層感激した。

ブザンソンにいる間ほとんど日の光を見なかったので、
薄暗い町だという印象しかなかった。
数年後、家族でスイスでのヴァカンスをすごした帰り道、ブザンソンに立ち寄った。

明るい夏の太陽の下でブザンソンは光り輝いていた。

家内は「なによ、違うじゃない、かわいらしくて素敵な街ね。うそばっかり」
と私をなじるのである。

子供たちはシタデルの動物園と昆虫博物館にご満悦だった。

結局、憂鬱な町だったという私の言葉を家族のだれも信じてはくれなかったのである。
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