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ベルリンの壁3

.04 2010 ヨーロッパ comment(0) trackback(0)
ベルリンでの二日目の午後は、
クーダム通りから東ベルリンのバスツアーに参加しました。
バスの中でパスポートのチェックを受けました。

東ベルリンに入ると風景は一変します。
それまでが西側の華やかなクーダム通りだったので、
余計にそう感じるのでしょう。
町並みは石炭の煤煙ですすけたような古い建物が続いています。
道路を走っている車と言えば、角ばったデザインの車ばかりです。
つい先ほどまでの、流線型のメルセデスやB&Wが溢れていた
道路とは大違いです。

公園のようなところに案内されました。
中には大戦で死んだソ連兵の広い墓地があり、
やはり例の長いコートを着て機銃を持ったソ連兵が立ち番をしていました。
いつも男のバスガイドが見張っており、
結局何を見たのか今ではよく覚えていません。

バスの中でちょっとした事件がありました。
下の5歳の息子がおしっこしたいと言い出したのです。
どう説明していいか分からなかったのでバスガイドに
息子を指さしてピッピ(フランスの幼児語でおしっこのこと)と言いました。
通じたようでした。
ガイドは運転手に何か指示していましたが、
じきにバスはある建物の前に止まりました。
私と息子はガイドにレストランのトイレに案内され、
3人並んで連れしょんをしました。
バスに帰ると待ってくれていた乗客が皆にこにこと迎えてくれ、
フランス人のおばあさんが息子によかったねと声をかけてくれました。

チャーリーポイントでツアーが終わり、
バスから降りて振り返ると、
国境警備員がバスの下の格納庫を開けて中をチェックしていました。
そこに誰か隠れていないかチェックしていたのだと思います。

これで我が家のささやかな冒険旅行は終わりました。
ベルリンの壁 010
今でも子供たちは、お母さんが罰金をとられたこと、
手を振ったら双眼鏡で睨まれたことを覚えているといいます。
おしっこ事件は忘れたと言っています。

まさか同じ年の89年11月にベルリンの壁がなくなるなんて
夢にも思いませんでした。
私たちがちょうどドイツ旅行をしているときに、
ハンガリーオーストリア国境で「ヨーロッパピクニック計画
が実行され、1000人もの東ドイツ市民が亡命に成功しました。
この事件がベルリンの壁崩壊のきっかけになったのです。
もっともこのことを知ったのは日本に帰任した9年後、
春江一也の「プラハの春」を読んでからでした。

会社の同僚で、なんでベルリンなんかに行くの、と言っていた男が、
「ベルリンに行って壁の石を記念に拾って来なくっちゃ」と
騒いでおりました。

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