元善光寺(もとぜんこうじ)

.04 2015 旅と観光 comment(0) trackback(0)
二つ目の赤そば畑を見て、当初の目的は達成したのですが、
まだ時間があるので、ついでに旅館の観光案内にあった
元善光寺を訪ねてみることにしました。
IMG_8244 (480x270)

山門も立派ですし、
IMG_8245 (480x270)

なかなか由緒のあるお寺のようです。
IMG_8246 (480x270)

元善光寺の由来という掲示板があったのですが、
これが、出来の悪い部下の報告を聞くようで
さっぱり要領を得ないのです。
IMG_8250 (960x720)
「卿」って、ものすごく偉い人だよね、何で国司のお供をしたんだろう。
麻績(おみ)の里ってどこだろう。
何で急に「臼」が出てくるわけ、奉ったのは仏さんじゃないの。
「これ分かる?」
「わからないけど、地元の人は同じような話を何度も聞いてるから
分かるんじゃないの」
「でもこういうのは、事情を知らない観光客のためにあるんじゃないの」

帰宅して、 Wikipedia元善光寺 を読んですぐに疑問は氷解しました。
さすがはWikipediaです。わかりやすく簡潔に文章をまとめています。
(以下はWikipediaのコピペです)
古くは この地を麻績の里(おみのさと) と呼んだ。
推古天皇10年(602年)にこの地の 住人 本多(本田)善光が、難波の堀江
(現在の大阪市)で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、
麻績の里の自宅の 臼の上に 安置したところ、
臼が燦然と光を放ったことからここを「坐光寺」としたとされる。
その後、皇極天皇元年(642年)、
勅命により本尊は芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座され、
この寺が善光の名をとって善光寺と名付けられたことから、
坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになった。
遷座された本尊の代わりに勅命によって木彫りの本尊が残され、
また「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」
という 仏勅(お告げ)が残された ことで、
「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」といわれている。

境内のコスモスが青空によく映えていました。
IMG_8253 (480x360)

お寺の前に饅頭屋さんがあったのですが、
観光バスが来て買いあさって行ったということで売り切れており、
これは隣の土産物屋で一箱だけ残っていたものを買うことができました。
IMG_8255 (480x360)
見てくれは普通の饅頭なのですが、これがすこぶるうまいのです。

我が夫婦が愛読している、この時代小説の主人公の名前は
坐光寺藤之助爲清。
交代寄合衆の坐光寺家は本当に実在してこの近くの
長野県伊那郡高森町山吹(千四百石)を領地としていました。
IMG_8561 (480x480)

実はこの記事を書くまでは、
坐光寺家は作者が勝手に作った架空のものだと思っていたのです。
失礼しました。
スポンサーサイト

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://rennais.blog6.fc2.com/tb.php/1651-2d1be5fd