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戦艦ポチョムキンの反乱

.27 2010 読書 comment(2) trackback(0)
「戦艦ポチョムキンの反乱」英国人リチャード・ハフによるノンフィクション
(講談社学術文庫)を読んだ。
市立図書館でたまたま目に入ったからである。
Potemkin.jpg
(写真出典:Wikipedia)
私は世界史が大好きで、大学の入試科目(当時6科目)の中でも、得意科目だった。
ただし、ロシア革命は現代史に属し、高校3年の3学期になって学ぶものだから、
入試にも出ないし、あまり熱を入れてここらあたりを勉強したことがない。
フランス革命とは大違いである。

それに私は、共産主義が嫌いで、ロシア(当時はソビエト)という国が
好きになれなかった。とにかく言論の自由がないというのが許せない。
恐怖政治をやらないと政権が維持できないというのは、何か問題があるからだ。
私が学生時代は学園闘争の時代で、中国の毛沢東思想にかぶれた学生も多かった。
当時の文化大革命に心酔する学生を私はあほかと思っていた。
素晴らしい思想かも知れないが
「小学生が大学の教授に白い三角布をかぶらせ、縄をつけて町中を
引きまわすなどということは、どう考えても、まともな思想とは思えない」
と私を説得にかかる友人に反論したものだ。
だから当時の私の立場はいわゆる、共産主義が嫌いなノンポリラジカルだった。
機動隊が嫌いということでは意見は一致していたのだが。

「戦艦ポチョムキンの反乱」は、今WEBで調べてみると、
1967年に映画が日本で公開されている。
多分それが理由で、私の中では、ロシア革命を象徴する重要な事件として
なんとなくよく知らないまま印象づけられていたのであろう。

この本はノンフィクションなので、資料に基づいて推測した事実を
淡々と描いている。

この事件が起きたのが1905年6月27日。

日露戦争でロシアが負けた直後である。
1904年年末、旅順港が陥落し、
1905年5月、対馬沖の海戦でバルチック艦隊が全滅しており、
8月19日にイギリスのポーツマスで終戦条約が成立している。

実際にロシア革命が成立し、ロマノフ王朝が消滅したのは
第一次世界大戦の最中の1917年3月であるが、
ポチョムキンの反乱がおこった年(1905年)の1月には、
首都サンクトペテルブルグで請願デモに軍隊が発砲し、
500人が虐殺されるという[地の日曜日事件]が起こっている。
この辺りから、ロシアでは各地で爆破事件や暴動が起こっており、
無政府状態といっていいような状況になりつつあった。

こういう状況の中で、ポチョムキンの反乱は起こった。
事件のきっかけは全く偶発的で組織だったものではなかった。
蛆のわいた腐った肉の蛆を海水で洗っただけで、
ボルシチに入れたということで、
兵隊がそんなボルシチが食えるかといい、
食えといった艦長・士官を殺して艦を征服したのである。

ポチョムキンが軍旗ではなく、赤旗を掲げてオデッサ港に入ってきたため、
同調した市民の蜂起が起こり、翌日6月28日に、
オデッサのリッシェリュー階段でコサック兵による大虐殺が起こった。
6000人が殺されたと推定されている。

この惨劇の直後に、軍は街に出ていた人々を扇動し方向転換させるべく、
ユダヤ人襲撃を示唆して、略奪が始まっている。
似たようなことはロシアのあちこちで起こっており、
ロシアで虐殺されたユダヤ人は相当数にのぼるといわれている。

ポチョムキン号は奪った金は豊富にあったものの、石炭と食料の調達ができず、
結局7月8日(12日後)に、ルーマニアのコンスタンツァ港に上陸し、
乗組員は亡命した。
そのほとんどは海兵として訓練されていない農村出身者だったので、
オルグが説得しても革命に積極的に参加する気はなかったのである。
一部はルーマニアの農村に散り、一部はイギリス経由でアルゼンチンに移民したという。

著者はノンフィクション作家で断定はしていないのであるが、
この事件がロシア革命の象徴的事件として人々の記憶に残るようになったのは、
20年後の1925年に映画がつくられたからだと、
私は個人的には考える。

共産党革命が成立して8年、革命のプロパガンダのためにこの映画は作られたのだ。
歴史は作られたのである。

日本では67年、ちょうど学園闘争が盛り上がる前の年にこの映画が公開されたので、
余計若者にアピールしたのであろう。

(参考)
Wikipedia 戦艦ポチョムキン
Wikipediaポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)
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hananorikko
この映画、大学の授業で見ました。たぶん英語専攻分野の中での一環だったような、心理学と映像・描写に関する何かだったような・・・ぜんぜん覚えてないけど、その授業の先生が、とにかくこの映画に熱い思い入れがあるのだ・・・ということだけ分かったような、しょうもない学生でした。。
2010.09.28 11:03
豊栄のぼる
hananorikkoさん、
その先生は多分、若かりし頃全共闘だった人ですよ。熱い思い入れがあるということは。
2010.09.28 12:08

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