謝罪は誰のためか?

.22 2016 ブログ comment(0) trackback(0)
どこかの市の教育委員会が謝罪していた。
市内の中学校で60歳の男性教員が
女子中学生の体に触ったからだという。
記者団の前で一斉に起立し頭を下げる。

なんなんだ、これは。
この違和感、この不快感。
教育委員会は誰に対して謝罪しているのか。
被害者の女子中学生かその両親か、違う、
彼らは目の前にいるメディアに対して謝罪しているのだ。
メディアは誤ってもらう権利があると
当然といわんばかりの報道姿勢である。

未成年ならまだしも60歳にもなったいい大人が悪さをした。
そんなことになぜ市の教育委員会が責任を取らなくてはならないのか。
「誠に残念です。分限規定に従い処分いたしました」
と報告すればそれでいいではないか。

フランスの現地法人で働いていたころ、
従業員の一人が夜明け前の4時ころ警察官に尋問され
逃げ出して射殺されたという事件があった。
人事部長に聞くと
「会社は関係ないですよ。雇用責任とかは問われません。
新聞にも会社の名前は一切出ませんから」という。
確かに新聞記事には本人の名前は載っていたが
職業は会社従業員としか出ていなかった。

これが日本では「電通の社員が・・・」と会社の名前が出てくる。
電通の社員の中にも悪いことをするやつはいるよ。
でも電通に何の責任があるのか。
雇用責任?
雇用責任は雇用している従業員に対して負うのであって
世間様に負うのではない。

おかしいよ、日本のメディアもそれを当然とする視聴者も。
犯罪者の母親をカメラの前に引きずり出して謝らせたりするよね。
日本のメディア自身がいじめの構造を持っているとしか思えない。

ああ、このやるせない違和感。

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