日本語が亡びるとき

.23 2016 読書 comment(0) trackback(0)
「感動した!」

小泉純一郎ではないが本当に感動した。

新聞で水村美苗の記事を読み、著作を調べ、
この本のタイトルを見ておもしろそうだと思った。
ところがなんと、我が家の本棚の中にこの本があったのである。
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我が家では本棚が四か所に分散していて、
この本をいつ買ったのかまったく記憶がない。
詠み始めて分かったのだが、
第一章の途中まで読んでそのまま放置していたのである。

ヨーロッパではラテン語という<書き言葉>の<普遍語>があった。
グーテンベルク印刷機が発明があり、
ラテン語の聖書が口語俗語に翻訳されて、
やがて俗語革命を経て現地語の書き言葉ができた。
東洋では漢文という<書き言葉>の<普遍語>があった。
これが仏典を通じて朝鮮・日本・ベトナムに文字(漢字)が伝わり、
日本では2種類の仮名の発明をした。
西洋では一時期フランス語が<普遍語>になりかけたが、
アメリカ合衆国の出現とインターネットの時代になって
今や英語が世界の<普遍語>になってきた。
すべての学問・文芸は<普遍語(英語)>から現地語へ翻訳され、
現地語から<普遍語(英語)>へ翻訳されるようになった。

今や、日本語という現地語は亡びの危機に面している。

ざっとまとめるとこういうことになるのかもしれないが、
2008年出版され2009年に小林秀雄賞を受賞したこの本を
私がまとめたり論評したりするのはおこがましいし、間違うもとだろう。
以下に、本の中で私が感動した部分を原文のままコピペするので
それで味わってほしい。

大学入試にでも出て来そうな本なので、
受験の高校生にも読ませたい本だ。
とにかく本書を一読されることを強くお勧めする。
横浜市立図書館でも、あちこちの図書館で書架公開中なので、
予約をかければ簡単に読めそうだ。



原題。
「日本語が亡びるとき_英語の世紀の中で」 水村美苗 著

本の帯のコピペ。
「西洋の衝撃」を全身に浴び、豊かな近代文学を
生み出した日本語が、いま「英語の世紀」の中で
「亡びる」とはどういうことか?
日本語と英語をめぐる認識を深く揺り動かし、
はるかな時空の眺望のもとに鍛え直そうとする
書き下ろし問題作が出現した!
一章_アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々
二章_パリでの話
三章_地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々
四章_日本語という<国語>の誕生
五章_日本近代文学の奇跡
六章_インターネット時代の英語と<国語>
七章_英語教育と国語教育

p95
「日本文学のような主要な文学(une litérature majeure)を書いているあなたとは比べられませんが・・・」
(フランス語圏出身のイスラエルの大学教授)

p101 
日本近代文学が存在したという事実が世界の読書人のあいだで知られていること。それは、日本近代文学が優れていたことを、必ずしも意味するのではない。そもそも日本近代文学の存在が世界に知られたのは、日本が真珠湾を攻撃し、慌てたアメリカ軍が敵国を知るため、日本語ができる人材を短期間で養成する必要にかられたのが一番大きな要因である。アメリカの情報局に雇われた中でも極めて頭脳優秀な人たちが選ばれて徹底的に日本語を学ばされ、彼らがのちに日本文学の研究者、そして翻訳者となったのであった。エドワード・サイデンスティッカー、ドナルド・キーン、アイヴァン・モリスは海軍で、ハワード・ヒベットは陸軍で。ほぼ同世代で、戦前の日本に育ったスコットランド人のエドウィン・マックレランも、翻訳者となった。
1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、そのように英訳があったおかげである。

p174 
まずは<現地語>でかかれたものの地位が高く、<現地語が>成熟していたこと。
つぎに「印刷資本主義」があったこと。
これらが明治維新以降、日本語が名実ともにはやばやと<国語>として成立するのを可能にした、二つの、歴史的な条件である。だが、この二つは必要な条件ではあったが、充分な条件ではなかった。日本語がかくもはやばやと<国語>になったのには、もう一つ、絶対に欠くことができなかった三つ目の歴史的な条件があった。
それは、 日本が西洋列強の植民地にならずに済んだ ということにほかならない。

p264
グローバルな<文化商品>とは、ほんとうの意味で言葉を必要としないもの---ほんとうの意味で翻訳を必要としないものでしかありえない。グローバルな<文化商品>といえばハリウッド映画がその代表だが、今や収益の五割以上を輸出に頼っているハリウッドの映画産業は、制作費が巨額な映画ほど、輸出用にわざと台詞を少なく抑え、捉えにくい個別的な<現実>を描こうとする代わりに、人類に共通する神話的世界を描こうとしている。目をみはるほどの勢いで進化するCGの技術を駆使しながら、これまた目をみはるほど古くさい壮絶な善悪の戦いが氾濫する所以である。商業主義のハリウッドであるからこそ、翻訳というものの困難を充分に承知しているのである。

p265
くり返し問うが、今、漱石ほどの人材が、わざわざ日本語で小説なんぞを書こうとするであろうか。

p296
翌年の1966年、ついに国語審議会の総会で、当時の文部大臣であった中村梅吉が「当然のことながら 国語の表記は、漢字かなまじり文にする ことを前提」とすると述べる。文部省が進めようとしてきた漢字排除論に初めておおやけに休止符がうたれたのは、前島密が「漢字御廃止之儀」を上申してからちょうど百年後であった。

p297
思うに、 日本から真に漢字排除論が消滅したのは、ここ二十年ぐらいのこと である。経済の急速な成長によって中国という国が存在を増し、その中国が、たとえ日常的に使う文字は簡体字に変えたとしても、漢字は使い続けるという意思を持っているのがはっきりと見えてきたからである。また、コンピューターという技術革新のおかげで、漢字はかってのように「不便なもの」でも、ポピュリズムと相反するものでもなくなったからである。

p306
だが、表記法を使い分けるのが意味の生産にかかわる・・・
p307
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

という例の萩原朔太郎の詩も、最初の二行を

仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し

に変えてしまうと、朔太郎の詩のなよなよと頼りなげな詩情が消えてしまう。

フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し

となると、あたりまえの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまう。
だが、右のような差は、日本語を知らない人にはわかりえない。

蛇足だが、この詩を口語体にして、

フランスへ行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い
せめて新しい背広をきて
気ままな旅にでてみよう

に変えてしまったら、JRの広告以下である。

以上
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