FC2ブログ

閔妃(ミンビ)暗殺

.29 2011 読書 comment(0) trackback(0)
「閔妃(ミンビ)暗殺」 角田房子著 新潮文庫(1993年)を読んだ。
大変なショックを受けた。

日本人が朝鮮の王妃を暗殺した???

福沢諭吉は韓国や中国では非常に評判が悪い???


これがどんな事件かは、解説の大江志乃夫氏の文章をそのまま引用しよう。

「閔妃(みんび)暗殺事件は、
日本の国家を代表する朝鮮駐在公使の三浦梧楼(ごろう)が首謀者となり、
日本の軍隊・警察、暴徒としかいいようがない民間日本人たちを
朝鮮の王宮に乱入させ、公然とその国の王妃を殺害した
という、
およそ近代世界外交史上に例を見ない暴虐をはたらいた事件である。
この事件はいまだに韓国人の胸にふかい傷跡を残しているが、
日本国民の大部分はこの事件についてさえ全く知識を持たなかった。」

「大学受験用の「必携日本史用語」という本に、
現行の高校日本史教科書(20冊)に出てくる歴史用語の頻度を、
A(16冊以上)、B((13~15冊)、C(9~12冊)、
D(5~8冊)、E(4冊以下)に分類して表示してあるが、
「閔妃暗殺事件」は最低のEである。」

恥ずかしながら、私もこの事件のことは全く知らなかった。
たまたま図書館でこの本を見なかったら、永久に知らなかったであろう。
私は大学入試科目に世界史と地理を選択していたので、
世界史は非常に得意だと自負している。
ただ、おそらく私が学んだ世界史の教科書や参考書には
この事件は取り上げられていなかっただろうと思う。
なぜなら私が選択しなかった日本史の教科書ですら、
上記のような状況だからだ。



明治維新前後の、日朝間の主な歴史的事件は次のとおりだ。
1842年       アヘン戦争・南京条約
1863年       高宗(26代)11歳で即位、大院君摂政
1868年(明治1)  明治維新
1875年(明治8)  江華島事件、日本軍艦発砲交戦
1876年(明治9)  日朝修好条約(江華条約)
1882年(明治15) 壬午じんご事変、
            反日・反閔・日本公使館焼討、大院君は清へ拉致
1882年(明治15) 朝鮮と米英独の修好条約
1884年(明治17) 甲申こうしん事変、
            開化・親日派によるクーデタ、清国軍は日本軍を破る。
1889年(明治22) 防穀令、旱魃による穀物不足、穀物対日輸出の禁止。
1894年(明治27) 東学教徒反乱(反日)のため日清両国は朝鮮に出兵。
            日清戦争、95年下関条約、台湾平定
1895年(明治28) 三国干渉、閔妃暗殺
1904年(明治37) 日露戦争、05年ポーツマス条約
1910年(明治43) 韓国併合



この本を読む限り、
とにかく明治維新後の日本は朝鮮に対してやりたい放題であった。

李氏朝鮮と徳川幕府は朝鮮通信使を通じて友好関係を保っていた。
しかし、明治政府は「朝鮮は清国の属国であり、
天皇の部下であった徳川将軍と対等だったかもしれないが、
日本は清と対等なので、朝鮮は一等格下の国である」
という態度をとった。

他方、朝鮮の実権を握っていた大院君は
衛生斥邪論(鎖国攘夷論)を取り、
明治政府のこうした態度への反発もあって、
日本の求める修好条約は一向に進展しなかった。
日本における征韓論もこうした背景で生まれたものである。

とにもかくにも江華島事件をむりやり起こした日本は、
欧米列強に6年も先駆けて、朝鮮を開国させ、
貿易を独占することに成功している。
この時の日本の態度は
「ペリーにやられた通りに、朝鮮にやり返した」
というものである。

この日本の貿易独占時期の朝鮮から日本への輸出は、
米30%、金19%、皮革16%、豆11%、その他24%である。
他方日本からの輸入は、
綿織物57%、その他の織物23%、その他雑貨など20%であり、
しかも綿織物はイギリスの綿製品を中継ぎで輸出したものであった。

この結果、米不足で価格が3~4倍に跳ね上がり、
日本からの綿製品のため朝鮮の綿作と手織り業が衰退して失業者が増大した。
さらに、それまで朝鮮には石鹸がなかったので
日本からの粗悪な洗濯石鹸が大人気となって農村の主婦がこれを買い求めた。
農村には現金が無かったので後払いで米を搾取された。

米不足、物価高のため日本への恨みが増大していた。
他方、閔氏一族(閔妃の出身母体)は、
勢道政治(門閥による官職独占)によって、
貨幣を濫造し毎晩の豪華な宴をまかなっていた。
こうしたときに、軍人への俸給米の支給が遅れ、
しかも中間役人の米の中抜きもあって、軍人が反乱を起こした。
これが1882年(明治15)の壬午事変である。
反日・反閔の反乱は京城の日本公使館焼討となり、
閔妃は命からがら地方に亡命した。
しかし対抗勢力の大院君が、袁世凱により清に拉致されたため、
閔妃は復権した。

王の高宗(26代)は気弱な性格で、子供時代は父の大院君の言いなり、
21歳で親政に移行してからは王妃である閔妃の言いなりであった。

日清戦争は朝鮮の支配をめぐって起こったのだが、
遼東半島を割譲させたため露独仏の三国干渉を招き、半島を還付した。
この日本の外交的敗北が閔妃を決定的にロシア依存に傾かせ、
ロシア公使夫妻と連夜に渡る宴会を繰り返した。

「退潮する日本の影響力回復の最大の障害が閔妃の存在である、
そう考えて閔妃暗殺の決意を胸に秘めた着任した公使三浦梧楼は、
その決意を実行に移した。」(大江志乃夫氏の解説より引用)

閔妃暗殺事件には外国人の目撃者がいる。
アメリカ人で侍衛隊教官のジェネラル・ダイと
ロシア人技師サバチンの二人である。
このためすぐさま駐韓各国公使が、
日本公使館に来て三浦公使を詰問しており、
ジェネラル・ダイの目撃に基づいた記事が
ニューヨーク・ヘラルド紙に掲載されている。

三国干渉を受けたばかりの日本政府は、他国の非難を抑えるために、
事件の嫌疑者48人を日本に送還し、広島で裁判を行ったが、
結局全員が無罪となった。
他方、朝鮮では閔妃暗殺の下手人として三人の朝鮮人を処刑している。

退韓命令を受けた人々の帰国風景は、
「彼ら被告が宇品(広島)埠頭に現れるや、
各地より集合した歓迎者はと列をなし、
被告一同に甚大なる同情と熱情的な歓迎を表し、
一時は広島獄事のために、その見舞い訪問者が全市の客館に充満し、
あたかも凱旋将軍を迎うるの光景・・・」
だったそうである。

それにしても、当時の日本のやり口は、いじめっこと同じである。
いびっていびっていびりあげて、我慢しきれなくて相手が切れて反撃すると、
それを口実にまた莫大な賠償を要求し、内政干渉をする。
そしてとうとう韓国併合を成し遂げたのだ。


確かに、閔妃とその一族は、列強が植民地主義を唱えている時代に、
まるで日本の平安時代かと思うような勢道政治(門閥による官職独占)を
繰り広げ、自分の生んだ子を次の王にしようと権謀術数に明け暮れていた。
民衆が物価高と失業にあえいでいるときに、
毎晩大宴会を催して寝るのは明け方だったという。
役人も夕方からしか仕事を始められなかったという。
彼女が民衆の怨嗟の対象となり、
フランス革命のマリー・アントワネットのように、
民衆の手で処刑されたのなら、それはそれでしようがないと思える。
それは朝鮮の国内事情だからだ。

しかし、戦争を仕掛けるならともかく、
外国が他の国の王妃を邪魔だから殺すなどという事は
決して許されるものではない。

明治政府が朝鮮を見下していたのは事実であるが、
その当時朝鮮は文化的政治的に劣等国であるという
見下した考え方は知識人も持っており、その代表格が福沢諭吉だった。
彼が一万円札に登場した時には、韓国人や中国人は嫌悪感を示したらしい。

福沢は1875年の江華島事件の時、
「朝鮮討つべし」という世論に反対して、
「日本に利や益をもたらす国ではないから、小野蛮国なんぞほっておけ」
という態度だった。

ところが1881年の「時事小言」では、
西洋諸国が東洋に迫ってくるのは火事のようなもので、
日本だけが不燃建築にしても近くの国が木造のままでは類焼の恐れがあるから、
彼らも不燃建築にするよう日本が手を貸さねばならない、
と意見を変えている。
「武以って之を保護し、文以って之を誘導し、速やかに我例にならいて
近時の文明に入らしめざる可らず。我はやむを得ざるの場合においては、
力を以って其進歩を脅迫するも可なり」と書いているのだ。

1883年の時事新報では
「ともかくも、日本以外の国々をして、断じて朝鮮に手を出さしむる訳にはいかぬ。
日本が独り之に当たるのが、日本の権利であって亦其の義務である」
と言っている。

1885年の時事新報に掲載された「脱亜論」の中では
もう朝鮮は誘導するに価しない国だと決めつけ、
地理的に近い清国や朝鮮と日本が同じような文明開化に遅れた国だと
西洋人から見られるのは日本にとって一大不幸だと言っている。
前年の甲申事変で開化・親日派によるクーデタが失敗したことが
福沢の変化の原因らしい。

「脱亜論」の5ヶ月後の時事新報で、福沢は
「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」と言う過激な社説の中で、
「他国政府に亡ぼさるるときは亡国の民にして甚だ楽まずといえども、
前途に望みなき苦海に沈没して終身内外の恥辱中に死せんよりも、
寧ろ強大文明国の保護を被り、せめて生命と私有とのみにても安全にするは
不幸中の幸ならん」と書いた。
さすがにこの時は時事新報は発行停止を命ぜられている。

福沢諭吉がこれでは、一般日本人の考えも同じだったであろう。

それにしても、良い勉強をさせてもらった。
まだまだ知らないことは世の中にあるものだ。
謙虚に反省しなければならない。

関連記事
スポンサーサイト



  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://rennais.blog6.fc2.com/tb.php/452-5edf85f8