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梅雨明け

.18 2010 花(一般論) comment(4) trackback(0)
昨日は梅雨明け。

かっと照る日差しが肌に突き刺さるようだ。

各地で海開きだが、大雨の後始末で大変らしい。

我が家はなだらかな丘陵地の頂上のため、洪水と山崩れの恐れだけはない。
こういう立地条件を選べと教えてくれたのは、ブルターニュの初代社長である。

夏といえば、一番暑さに似合うのがこの花
さるすべり(百日紅)である。
さるすべり
子供のころ、柿本人麻呂の現地妻、恵良媛の出生地だという
お寺の広場の隅にあった木がこれだった。
この広場は子供の遊び場で、三角ベースをよくやった。

さるすべりと同じく子供時代の記憶にある夏の花が、
ノウゼンカズラである。
のうぜんかずら
檀家のお寺に保育園があり、庭の真ん中に大きなクスノキがあって
その木にまとわりついて花を咲かせていたのが、この花である。
かくれんぼなど大抵の遊びはこの木の周りでやった。

この二つの花は、子供時代の
いつまでも終わらない暑い暑い夏の日
を思い出させる。

ディック・フランシス(「花」外伝)

.16 2010 花(一般論) comment(0) trackback(0)
5月13日の「花」の記事で、突然にイギリスのニューマーケットの厩舎が出てきたが、
よほどの変人か、競馬関係者でもない限り、この町のことを知っている人はいないであろう。
我が家がこの町を訪ねた背景を、花(自叙伝)に続く、花(外伝)としてお届けする。
これで本伝、自叙伝、外伝の花サーガ三部作の完成となる。


「土曜の夜はディック・フランシス」
というキャッチフレーズが流行ったのはいつのことであろうか。

最初は家内が駐在員の奥様の誰かからディック・フランシスの本を借りてきて、
それ以来夫婦でこのイギリス推理作家のファンになった。

早川文庫の緑色のカバーでタイトルが漢字2文字で統一されていた。
「本命」「度胸」「興奮」...と続く。年に一作しか書かないので、
パリに日本食料品の買い出しに行くたびに、
オペラ座近くの東京堂書店かジュンクを覗いて新刊本を探したものである。
著者は今年2010年2月に亡くなっているので、もう新作が出ることはないのが残念である。

物語の書き出しは、山本周五郎の書き出しのような、
映画の最初のシーンはこうだろうなと想像できるような、ヴィジュアルな書き出しである。
ストーリーは水戸黄門やハリウッド映画のような勧善懲悪物だ。
全部で43作。何作かは同一主人公だが、基本的に主人公は毎回違う。
全てストイックでマゾかと思うくらい苦痛に強い男性が一人称でしゃべる。
かわいい女性が出てきて主人公と恋に落ちる。
主人公はいつも犯人に痛めつけられて窮地に陥るのだが、
最後は逆転で勝つことになっているので、安心して読めるのだ。
悪く言えばマンネリなストーリーだが、良く言えばファンを裏切らないのだ。
(因みに、我が家は水戸黄門と時代小説のファンでもある)
著者がもと障害レースのプロの騎手だったので、
全ての話が何かしら競馬に関係しており、リアリティがある。

我が家のこうした夫婦の事情から、イギリス旅行を計画した時は、
ユーロトンネルを通ること、
ディック・フランシス追随のニューマーケットとアスコットの見学、
それとセントアンドリュースでのゴルフが必須条件になった。
子供たちもいやでもそれに付き合わされることになる。

ニューマーケットに行くために、イプスウィッチのノボテルに最初の宿をとった。
こんな町に泊まる日本人観光客はめったにいないのではないかと思う。

ではニューマーケットで何をするかという具体的な計画はなかったのだが、
ディック・フランシスの小説の雰囲気が味わえればよいという程度のもので、
そのあと隣のケンブリッジで大半の時間を過ごす予定だった。
なにせ、競馬場といえば、ダイシンボルガードが優勝した
68年のダービーの百円馬券を買うために私が府中競馬場に一回行ったことがあるだけである。


ニューマーケットの町に入ったら、たまたまある厩舎のオープン・デイという看板を見つけて、大喜び。
これこれ、しめしめと入場した次第である。
95年ニューマーケット馬房01

「花」の記事で記したように、厩舎の外側は殺風景だったが、中庭にはきれいな花壇があった。
95年ニューマーケット馬房02

厩舎の中での最大の発見は、各馬房に馬の名前と馬主の名前が書いてあるのだが、
馬主にアラブ人の名前が非常に多かったことである。やはり石油の力はすごい。
95年ニューマーケット馬房03
その後は、牧場と調教場を散歩させてもらって、その広さに感激してきた。

ところで、私たち夫婦は、ディック・フランシスの翻訳の日本語のまずさに非常な不満を抱いていた。
ときどき、これは学生アルバイトか何かに下訳をさせてそのまま何も手を加えていないのではないか
と思えるようなこともよくあり、いかにも直訳しましたというような訳である。
それはまだいいとしても、時にはいくら読み返しても何を言っているのか
さっぱり分からない個所がたびたび出てくるのである。
「早川書房さんも早く翻訳者を交代させてくれないかねー」と常々思っていた。

今回この記事を書くに当たって、Wikipediaを調べてみると、なんとまあー、絶句。
原文を引用させていただくと、

「ディック・フランシスの作品がこれ程までに日本で成功を収めたのは、
作品そのものの素晴らしさによるものが大きいが、
K氏の卓越した翻訳によるところも大きかった。K氏が逝去した際には、
フランシス本人が「ミステリマガジン2006年11月号」誌において、
「才能に寄せた信頼」と題する追悼文を、わざわざ捧げているほどである。」

と書いてあるではないか。

大変失礼しました。我々夫婦の日本語読解力が足りなかったようです。

花(自叙伝)

.15 2010 花(一般論) comment(0) trackback(0)
いつから、花、花、というようになったのだろうか。
小さいころから草食系の少年であったので、
チャンバラをするより、本や漫画を読むほうが好きだった。

図書館で毎日二冊借りて一冊は家に帰るまでの森の中の道で読み終え、
家に帰ってからすぐ次の本を読み、それから遊びに出かけるという感じだったので、
田舎の小さい小学校の図書館の本は5年生くらいまでに全部読んでしまった。

草花や虫に対する興味は旺盛だった。
名前が知りたかったのだが、何せ今のようにネットで簡単に情報が手に入る時代ではなかった。
学校の図書館の図鑑で調べるしかないのだが、デジカメがあるわけではなし、
現物と図鑑を並べて見られるわけではないので、記憶に頼って調べるのだが、
なかなか正解に行き当らなかった。

密かに、モウセンゴケ(食虫植物)の群生地、
地蜘蛛(土の中に巣を作るクモ)のたくさんいるところ、
ヤマユリの群生地などを発見しては、自分の秘密にして喜んでいた。
長いこと私だけの秘密だったのだが、高校生になった時、
友人の一人が蜘蛛の収集の趣味を持っていることを知り、
地蜘蛛の巣に案内してやり、非常に喜ばれたことがある。

花に再び目覚めたのは家内と結婚したことが大きい。
新婚旅行でスイスに行ったことも大きかった。
とくにルツェルンの橋を見たときの感激はすごかった。
ルツェルン カペル橋
この写真は次の「壁紙Link」より勝手に拝借したもの
http://www.wallpaperlink.com/bin/0702/03140.html

家内に花の名前を聞くと、実によく知っている。
なぜ家内が花の名をよく知っているかといえば、
お茶を習っていた時の先生の影響が大きいらしい。
お茶では一輪ざしをするのだが、先生は野に咲いている花を摘んで来ては一輪ざしにしていたとのことである。

私が知っている花の名前は、ほとんど家内に教えてもらったといってもよいだろう。

その次のエポックメイキングな出来事は、ブルターニュに来てからオランダに旅行したことである。
キューケンホフ公園にゆき、チューリップ畑を探してオランダ中を車で走った。
いまは、POPULAさんというオランダ在住の方のブログ
http://amstel.blog25.fc2.com/blog-entry-742.html
で楽しませていただいている。

ブルターニュで生活しフランスを走り回るうちに、花のある生活に自然になじんでしまったのであろう。

いつの間にか、友人に手紙や、仕事と関係ないメールを出すときは、
最初に「桜はもう散ってしまいましたが」とか「サザンカが見ごろになりましたが」とか、
時候の挨拶の代りに書くようになった。

この癖はブルターニュ在住の間に完成されたらしく、

その次の海外赴任のシドニーでは、
「豊栄さんは何かにつけ「花、花」といいますね」
といわれたものである。
それにしても、自分の操作ミスでパソコンに保存しておいた
オーストラリアの写真をすべてなくしてしまったのは返す返すも残念だ。

今は、Lilyさんというオーストラリア在住の方のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/casablancalily730/60792360.html
でジャカランダの花の写真を、楽しませていただいている。

それにしても、花はたくさんあり、
「人に媚びてきた花だけが古代から生き延びてきた」
といわれるくらい、きれいな花はすぐ世界中に伝播してしまうので、
どこが原産かよくわからない花がブルターニュでも日本でも咲いている。

名前は覚えきれませんね。

.13 2010 花(一般論) comment(2) trackback(0)
90年代の初め、
アメリカのヴァージニア州はニューポートニューズにある兄弟工場に出張したことがある。
その工場ではブルターニュの工場と同じ製品をアメリカ市場向けに作っていたので、
共通の部品を製品に組み込んでいた。
この工場の製造子会社が作っている部品が日本よりも安かったので、
この安い部品を買い付けるために同僚の技術部長と出張したのである
(私の仕事は支払い条件と為替のルールを交渉することだった)。

ワシントンから腕の太いおばさんパイロットが操縦する
蚊トンボのようなプロペラ機でニューポートニューズの上空にさしかかったところ、
森しか見えない。よくみると町並みは木の葉の下に隠れていた。
決して人口は少なくないのだが、家と家との間にしっかりと緑が多いのである。

やっぱりアメリカは違うね。日本と比べてフランスも広いと思っていたが、
アメリカはもっと余裕がありますね。

翌日、兄弟工場から100km離れた部品製造子会社に案内してもらった。
車の窓から過ぎゆく街並みを見ながら、
「どうも様子が違う。何か違う」という違和感がとりついて離れなかった。

しばらくして、はっと気がついた。

そうだ、ここには花がない。アメリカには花がない」

時は六月。フランスではどこの家にも、窓といわず、庭先といわず、道路のそばといわず、
いたるところでゼラニウムやペチュニアの花が咲き乱れている季節である。
田舎の一軒家でも、街中のアパルトマンでも同じである。

ブルターニュの我が家も、周りに影響されて、
ベランダの手すりには隙間なくゼラニウムのプランターを吊るし、
格子には朝顔と夕顔のつるをからませていた。
新婚旅行で行き感激したスイスのルツェルンの花に飾られた橋、
ブルターニュ赴任後に旅行したアルザスのワイン街道の花に飾られたかわいい街並み、
オランダもドイツも、もちろんパリもわが町レンヌも例外なく花で家を飾り立てていた。

ヨーロッパの町はどこも同じなのに、このアメリカの町は違う!

このことをアメリカの友人に言うと、
「そうですかねー」と皆一様に怪訝な顔をする。
そんなことを考えてもみなかったという。
彼らは当然ヨーロッパを知らないわけで、日本とアメリカのギャップしか認識していない。
日本とアメリカのカルチャーギャップの中に「花」はなかったようである。

いろいろ聞いてみると、アメリカ人が花を愛していないということではなく、
花は家の裏庭で咲かせ、家の表を花で飾り立てるということはしないというのであるらしい。

アメリカ人の祖先はヨーロッパから来たはずなのに、この差はなぜできたのだろうか。

うちに帰って家内にこの話をした。
「アメリカの祖先はイギリスよね。ニューマーケットの厩舎のオープンデイに行った時、
外側は殺風景だったけど、中庭には花はあったわよ」

どうもこの差は、ヨーロッパ大陸と島国イギリスとのカルチャーギャップに起因するらしい、
というのが我が家の結論である。

やはり、イギリスはヨーロッパではないのだ。


追伸:
この時ヴァージニアで食べたソフトシェル(かに)のから揚げは非常においしかった。
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